「戦前回帰願望」派なんて怖くないさ。 | 脱9条のススメ    護憲・リベラルのための憲法9条講座

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かつてガチガチの9条平和主義者だった私がその大矛盾に気づいてしまいました。
様々なテーマでリベラルの視点から、具体的・論理的に脱9条論を展開します。

ご無沙汰してます。 

前回の記事、『憲法9条は“権力の暴走”を阻止できるのか』では究極の脱9条論を書いてしまった。

で、もう書ききった感があって、この先まとまった「脱9条論」を書くことはないだろうと言うのが現在の心境です。

 

そんな中久しぶりにあの「護憲派ブロガーGさん」が

『“9条改正は時期尚早だ”論が護憲派に広がっているのかな』にコメントを寄せてくれた。せっかくなので紹介して私の雑感を述べることにします。

 

Gさんのコメント

 

批判じゃないよ

 

「みんななかま」で悪いのでしょうか?「悪の組織」の団結力をリベラルとしては見習いたいものです。「みんな違ってそれでいい」けれど、共通点でしかつながらないというのも人間でしょう。でないと「違い」を肯定できないはずです。
泥さんの「他国で尊敬される、兵士という職業」が日本でなぜそうでないのかを別の日にアップしましたが。改憲派右派が持っている「戦前回帰願望」の「脱」を先に望みたいものです。

 

私のコメント

 

みんななかま」で悪いのでしょうか

って、「みんな仲間」でいいとか悪いとかの話をしているのじゃないですよ。

「憲法論議」にしろ「安全保障論議」にしろ、これは「政策」論議なわけでしょう。「政策論議」における「仲間」とは「共通の政策を掲げている」ということにほかならない。「共通の趣味を持っている」とか「共通の友人がいる」とか言う問題では無いはずです。

「共通の敵がいる」事を「仲間」とするのは、「敵の敵は味方」論として、戦術としては認めるけど「政策」にはなりえない。

戦乱下では「敵の敵は味方」論でよりマシな政権を作るのも現実的対応だけど、日本はもちろん戦乱下にはない。そんな状況で「政策」にもならない「仲間作り」をしてどうなるのか。

 

この記事で取り上げているのは、

“現在の「護憲」状況を見れば「自衛隊は必要」派と「自衛隊は解体すべし」派が「護憲」の名のもとに「仲間」となっている”

という現実です。この両派、どう見たって「共通の政策」なんか無い。安全保障上、180度正反対の政策でしょう。例えばこういう野合「護憲派」が仮に議会で多数派を取った場合自衛隊はどうするのか、どんな政策を実行するのか。答えはカンタン、「何も出来ない」です。

つまり現在の「護憲運動」は政策運動にも政治運動にも成り得ないってことです。

ただ「改憲反対」って駄々をこねてるだけ、です。仮にも「護憲運動」を政治運動にするのであれば、この両派は互いを「敵」と認定すべきでしょう。

「護憲運動」の目的が「政策の実現」ではなく「仲間づくり」であるのなら、それはそれで結構だけど。

 

これは現在の野党勢力の構図にも如実に現れていて、民進党なんか改憲派と護憲派が同居していて更には「自衛隊解体」派の共産党とも選挙協力をするって言う。こんな「選挙協力」で政権とったらどうなるのか。何ができるのか。

せめて原発だけでも明確にNOを提示できれば私だって民進党支持を打ち出してもいいんだがそれすら出来ない。だって党内には原発反対派と推進派が同居しているんだから。

党内の共通の政策と言ったら「安倍はダメ」ってだけ。その先の政策なんか何もない。もはやこんなの「政党」とはいえない。ただの「安倍が嫌いならみんな仲間」のサークル活動だ。

もちろんそんなサークル活動は「共謀罪」で取り締まるべし等と言っているのではないですよ。

 

「悪の組織」の団結力をリベラルとしては見習いたい

 

意味不明。でも一応言っておくと、私もリベラルだが「見習いたい悪の組織の団結力」などない。

あるいはこのブログにしばしばコメントを頂くTさんなど「根っからの保守」を自認されている「改憲派」だが、戦前の体制への憎悪はなみなみならぬ物がある、そういう方である。

 

「他国で尊敬される、兵士という職業」が日本でなぜそうでないのか、とかカンタンに言うなあ。そんなデータがあるんですか。

確かにかつてはそういう風潮があった。泥さんて方がいつ頃自衛官だったのか知らないけどその頃ははそんなだったんだろう。私も「護憲」だった頃は「兵士」なんて「人殺しを職業とする軽蔑すべき人種」だった。

もちろん今は違う。そして日本社会全体の考えとしても、みんな自衛官には敬意と感謝の念を持っていると思うけどなあ。特に最近東アジア情勢が厳しさを増し、また「安保法」で「法的」に実戦もアリと言う時代になってもなお自衛官にとどまる方々を、今どきそのような目で見てる国民てほとんどいないんじゃないかなあ。まあGさんの周りには相変わらず昔ながらの「自衛官蔑視」を持つ人が多いのかもしれないが。そういえば民主党政権下で、仙谷由人官房長官が自衛隊を“暴力装置”呼ばわりしていたなあ。

まあこのテーマは今後各種世論調査で調査項目に加えると興味深いですね。 

 

「戦前回帰願望」の連中はホントに困ったもんだけど、私はそれほど気にはしていない。だっていくら彼らが「願望」したって日本は「戦前」に「回帰」などできないから。あの時代がああであったのは世界史と日本史の接点の中で「そうなるべく事情」があったからで、(もちろんああならないで済んだ分岐点とかはいくつかあったにしろ)現在は事情が全く違う。特定の人物やら政治勢力の力で「戦前回帰」などできっこないっていうのが私の見解。

さらには私は日本国民の良識と日本の民主主義を信頼してるっていうのもあるし。だから「戦前回帰」を求めてる一般国民なんか一割もいないであろう中、「戦前回帰」なんか起こりようもないと。(もちろん現在が百点満点の社会であると言っているのではない。)まあ「安倍内閣を支持」したり「改憲勢力に踊らされる」庶民を「愚民」としか見られない人達には私の「民主主義への信頼」など、暴論愚論でしかないだろうけどね。

まあ「日本の民主主義は信頼に足るか」とかは論証のしようが無いのだけれど。少なくとも世界を見渡せば欧米以外でこれだけ民主主義が形式にしろ定着・機能している国はないことは確かだ。もちろんこれも百点満点には程遠いけど。

 

「戦前回帰願望」の「脱」を先に望みたいものです。

 

「先に」ってことは、次には「脱9条」も認めるってことかしら。やっぱりG、さんも「9条改正は容認・ただし時期尚早」派かな。

何にしろ、恐れるに足らない「戦前回帰願望派」なんかに振り回されて、9条の姿、安全保障のあるべき姿、あるいは日本社会のあるべき姿が見えなくなっているのなら、つまらない話ではあるなあ。

このブログで繰り返し述べているように、立憲主義を尊重するのなら、「脱9条」しかありえない。

 

それにしても「護憲派Gさん」からこういう「言葉尻」の話を、しかも「批判じゃないよ」とかの但し書き付きでコメントされてもなあ。他の記事でもっと真っ向から「脱9条論」を掲げたものを真っ向から批判して欲しいもんだなあ。

ただし批判はあくまで、「私が述べたことに則して、具体的事実を元に論理的に」を「基本原則」としておねがいします。

例えば『憲法9条は“権力の暴走”を阻止できるのか』なんかを真っ向から批判して欲しいもんです。

 

 

追記 2017・5月7日

Gさんのコメントにしばしば登場し、この記事でも取り上げた、元自衛官にして護憲の“論客”泥憲和さんが急逝されたとの新聞記事を見つけた。63の若さだそうである。彼は自らのSNSでも私の“脱9条論”を取り上げてくれたという。もちろん批判的にだが。方法論は異なるにしろ、平和を心から愛するものとして哀悼の意を捧げる。ご冥福をお祈りします。