前回『自衛隊合憲論にはやっぱり無理がある』に続き9条支持・群青さんのコメントへの返信である。
まずは今回の分の群青さんのコメントを紹介する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(5) 同時に安倍政権「平和貢献」は米軍等の下請け部隊として自衛隊を差し出すもの。米軍事に言いなりになる事が色んな意味で日本の自由陣営の中の立場をよくするという米国価値観のグローバルスタンダードそのものだという訳です。
(6) 米軍はアフガン・イランイラクと20年程戦争を止める事が出来ないで大量の一般住民、赤ん坊を殺しました。その下請けとして自衛隊を派遣すれば、相手国の 住民や国の幹部から「日本は戦争する国になった」んだな~と受け取られます。アフガンでのペシャワール会の中村哲さんやその他の戦地で活動するNGO職員 達が危惧されている事です。
戦場の住民、武装ゲリラがそう思ってしまえば、自衛隊だけでなくNGO職員も殺されます。このように、九条子さんとotowさんの会話以上に、戦場の相手 側がどう判断するかがミソだと思います。自分個人としましては、憲法九条「武力行使の禁止」が生きていることは大切にしたいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では私のお答えを。
(5)について。
日本がこれまで米国追従で来たことは大前提です
そもそもここでの主題の記事
『集団的自衛権で日本はアメリカの戦争に更に巻き込まれるのか』
ではこれまで日本の外交がずっと米国追従だったこと、自衛隊の“国際貢献”もアメリカの下請けだったことを前提として、じゃあこれを打開するためにどうすればいいのか、を考え提言した記事です。それなのにその“前提”について群青さんに改めて指摘されるってどういうことなのか不明です。ホントにこの記事読んだのかなあ、って。
私の提言ではイラク戦争において米国批判をしたドイツ・カナダをお手本に、日本にだって脱・米国追従は可能だって結論になるわけですが、この記事に異論反論がお有りならこの提言の矛盾・事実誤認・論理破綻等をご指摘下さい。提言の前提となる事実認識については私と群青さんは完全に一致しているのですから。
自由主義陣営のド真ん中にいても米国批判は可能です
“自由主義陣営の中での立場をよく”しようとするのは、当然です。日本が核保有国でもなく、スイスのように “国民皆兵、最後は国土を焦土にしてでも自国は自力で守りぬく方針の国”でない以上、自国だけで安全を保障するのは事実上不可能だからです。だから同盟国を重視するのは当然で、その中での立場を良くしようとするのも当然ということです。
『国を守るには集団的自衛権以外に3つの方法があるが・・』参照
ただそのことと“米国価値観・グローバル・スタンダード”だとかは別の話です。
『集団的自衛権で・・・・』の記事でも述べたようにイラク戦争時に、カナダ・ドイツ・フランスなどは“自由主義陣営”のド真ん中にいましたが、米国の方針に真っ向反対することが可能だったわけですから。
(6)について。
私は一貫してイラク戦争は非難しているのに・・・
ここで米国の失敗した戦争の実態を書き連ねるって、私がそれらの戦争を美化正当化した事の反論みたいな位置づけですが、イラク戦争の認識も群青さんと全く一致していて、一貫してイラク戦争を非難しているし、日本も協力すべきでなかったと言っている。
それなのにこういう“イラク戦争の悲惨な実態”みたいなことを書いてくるっていうのはやはり、9条支持者が脱9条人を見るときの特有の思い込みのせいでしょうか。
つまり“日本と世界の平和のための崇高で不可侵の9条に反対するなんて、この人は戦争の悲惨さの実態を知らないからなんだ。ここは私が教えてあげなくちゃ”って。
まあ私も実際の戦争体験したわけじゃないけど、戦場で一般市民、子どもたちがどんな目にあっているか、現代の戦争や、かつて日本が始めた戦争について、平均的日本人以上には知っています。あんなこと繰り返しちゃいけないって思いは9条派の人達にも負けないという自負もあります。じゃあどうするのか、の部分が違うだけです。
戦車よりも畑を、でも畑を守るには戦車も必要だ
中村哲さんの活動については私ももうただただ尊敬の一言です。
ところで群青さんは私の記事『戦車よりも学校を、でも学校を守るには戦車も必要だ』に“いいね”してくれましたよね。ということはこの趣旨にもソコソコ賛同してくれたと解釈しています。
で中村哲さんの活動ですが、私はやはり思うわけです。
“戦車よりも畑や灌漑水路を、でも畑や灌漑水路を守るには戦車も必要だ”って。
(実際の中村さんの周辺で戦車が必要だということではもちろんありません。紛争地域周辺の事情の一つのたとえ、です。)
それはまたNGO職員の命だって同様です。群青さんは 現地の住民や武装ゲリラ”に“日本は戦争をする国になったんだな~”と思われると 、NGO職員達が殺されると言いますが、彼ら武装勢力がどう思うかなんてのは全く彼らのリクツで成り立つわけで、たとえば周辺武装勢力の了承を取り付けて、非武装の国連職員がアレッポに生活物資を運んだ時だって襲撃されて殺されてしまうわけです。この襲撃殺人は“国連は自分らの敵なんだな~”と武装勢力に思われたことがマチガイだったんですか。私なんかあんな大隊列で救援物資運ぶんだったら重武装の護衛を付けるべきだったのに、と思うのですが、それをしたら今度は“国連は自分らと戦争をする組織なんだな~”と思われて、やっぱり殺されるってことですか。
誰が“マララさん”を守るのか
群青さんはこういった紛争地帯の学校や子どもたち、あるいは畑や灌漑施設、更には非武装のNGO職員とかは誰がどのように守ればいいとお考えですか。もちろん現地の政権・警察・軍がしっかりと機能していれば問題ないわけですが、そうでない、正に一部南スーダンとか、マララさんのパキスタン・タリバン支配地域とかイラク・シリアのIS支配地域とか。
南スーダンでのようにアジア・アフリカの途上国の軍隊を国連の費用で派遣してPKO任せればいいんですか。他の欧米諸国のようにそんな危険なところに先進国の軍が行くのはバカバカしいですか。
そんな紛争地帯行って現地の民間人や武装勢力に“敵だとみなされてしま”い殺されてしまうから近づかないほうがいいですか。だったら世界中の紛争地帯に今も取り残されている“マララさん”達は誰が守るのだろう。“
学校は作りたい。作った学校は守りたい。
これはとてもむずかしい問題です。そして政策選択の問題だから“これが正しい”という正解など存在しません。
ただ群青さんやテレビで見る限りの伊勢崎さんのコメントとかでは、PKOで一番大切なのは、自衛隊員が犠牲にならないこと、戦闘に巻き込まれないこと、日本国が敵視されないことであって、現地の平和維持活動など二の次という印象を受けます。そうであるならば海外になど行かない方がいいに決まっています。それも一つの正解だとは思う。
二の次”などという言い方は正確ではないし失礼ですね。“日本には日本ならではの貢献がある”ということなのでしょう。学校建設・医療支援・農地開発などなどなど。でも日本がせっかく整備したそれらを武力で壊されちゃうのは悔しいし、何とかしたいじゃないですか、ということです。
PKOでありながら先進国の軍が危険だからと立ち入らない地域の、世界中にいるマララさんや、その学校や、せっかく作った農地を守るために、日本の自衛隊がお役に立てたらどんなにいいかと思う。そこで不幸にも何人かの自衛隊員の命が犠牲になろうとも、その何百倍・何千倍のマララさんの命が救えたらどんなに素晴らしい国際貢献・平和貢献だろうかと思うのです。
もちろん命は大事です
もちろん自衛隊員の命を軽んじるつもりなど毛頭ありません。ただ自衛隊員に限らず、警察官にしろ消防士にしろ海保隊員にしろ、時には東北大津波の時みたいに市役所の広報課の女性職員だって自分の命と引き換えに市民国民の命を守ろうとするわけです。時には一般市民だって。
ただただ感謝と尊敬です。
それなのに自衛隊員が他国のマララさん達を守ろうとすると、米軍の下請けだ、海外派兵だ、戦争への道だ、犬死にだって話になってしまう。
もちろん個々のPKO事例において自衛隊を派遣するかどうかは慎重にも慎重を重ねて事前の調査準備は必要でしょう。今回の南スーダンPKOだって説明不足だし、日報は改ざんするしかなり前のめりで行かせてしまっている感は否めません。
戦場のまっただ中に自衛隊を派遣すべきだとも思わない。ましてや米国に代わって“世界の警察”になるべきだと言っているわけでもありません。
(ところで群青さんのコメントに次の一節があります。“九条子さんとotowさんの会話以上に、戦場の相手 側がどう判断するかがミソだと思います 。” が、私は九条子さんとの会話で戦場の話にもPKOの話にも全く触れていません。テーマはあくまで“アメリカの戦争に付き合わされない方法”であって、外交・安全保障政策の話であり、戦場に行く前の話です。やっぱりちゃんと読んでないのじゃないかなあ)
失敗をしないためには何もしないのが一番です
更には現実の問題として、あらゆる政策がそうであるように、その政策に矛盾や副作用はつきもので、さらに政策判断の失敗や現場の運用の失敗もあり得る。
勇んで自衛隊を派遣したはいいが、多数の犠牲者を出した上に一人のマララさん一坪の農地も守れず大虐殺も止められなかったとか。
そのような失敗をせず批判もされないためには何もしないのが一番ではあります。アレッポへの物資輸送だって、何もしなければ殺されることもなかった。
あるいは今までのように米国追従を続けていれば、たとえ失敗しても米国のせいにしておけばいい。
しかしそれでは世界中のマララさんを放置することでしかない、と言うのが私の思いです。
そうならないために自衛隊がお役に立てるのであれば、大いに活躍してほしい。その活躍に9条が“足かせ”となるなら、9条をまず改正、あるいは少なくとも第3項を追加すべきではないか、というのが私の考えです。
まだ自衛隊などなかった65年前に作られた憲法に、現代の政策・自衛隊の活動が縛られるという奇妙な状態を脱し、今日本国が、自衛隊が、何をすべきなのか何ができるのかを考え、国民の合意を形成して憲法を再構築すべき時期がさすがににもう来ているのではないか、ということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
群青さん、長い文章にお付き合いいただきありがとうございます。文中一部不快な思いをさせる表現もあったかもしれませんが、平和を求める率直な議論のためゆえお許し下さい。
引き続き異論反論ご意見大歓迎です(他の人も)。ただ引き続きコメントはこの記事に沿ったものでおねがいします。今回も群青さんのコメントは、私の記事『集団的自衛権で日本はアメリカの戦争に更に巻き込まれるのか』はそっちのけで、群青さんのPKO論であったように思います。まあPKO論と“自衛隊合憲論”“命が大事・論”についてはいつか書こうと思っていたので、これをきっかけにエイっと書き上げたので感謝、ですが。(苦笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記
この記事にギター弾きさんというご護憲派ブロガーが自らのブログで批判記事を書いた。
この経緯と私のお答えは『護憲派はヒーローがお嫌い?』にて。
反論は『私が言ってもいないことに反論して“論破した”といわれてもなあ。私からの反論』と
『護憲派ブロガーGさんの仰天理論 “自衛隊と機動隊が戦う日”』にて。