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弟が自死しました

2010年8月、3歳下の弟を自死で亡くしました。
三回忌を終え、そろそろ自分の思い、これまでのことについて語りたいと思い、ブログを始めました。
*よろしくお願いします*

弟が死んだのが822日の日曜日だったので、電話がきたのはその週の確か火曜日だったと思う。夜の21時頃だった。私はその時参っていた。母の弟、つまり私の叔父にあたる人がこれまた問題児で祖父と同様アルコール依存症なのだが、この人が祖母に暴力を加えたと言うので母が参っていたからだ。そして私に相談の電話があり、私も参ると。いつもそうだが、私は母と境界線が薄い。母が苦しんでいると私も苦しい。2人で参ってしまうのだ。だから、弟から電話があったとき、てっきり弟もその件で電話をよこしたのだと思った。だから私の第一声は「聞いた?」だったと思う。弟は何かわからない様子だった。そして、話してくれたのだ。「できなかった」と。「飛び降り」を。飛び降りようとして1時間迷いに迷ったが、結局「こえ~よ」と思ってできなかったらしい。私は何やってるのと言ったかな。

それから率直にいろいろ話したな。弟はまともに生きて行くことができないと。父はすごいと。父はずっと仕事をし、家族を持ち、働き続けている。それが自分にはできはしないと。だから死ぬっていうのはどうも選択肢が狭すぎであり、他の方法を考えるという手があるのだが、当時のわたしは、死ぬことはだめなことであることを諭そうとしていたように思う。全くバカな話だ。何と言うことだ。せめて、死なないでと。お願いだからと。泣いて頼めばよかった。大切な弟だから生きていてと。なのにわたしは、弟の気持ちがわかるふりをして、「生きるか死ぬか選択するのは自由だけど、私は生きていてほしい」みたいな格好つけた言い方をした。弟には「それがわからないんだよな」と言われた。本当に、下手に勉強しているというのは怖い。死にたいという人に慣れ過ぎていた。だから、驚かなかったのだ。その割に、視野狭窄を指摘して他の方法を考えるということはできていない。素人の馬鹿だ。

その上、入院したいと言った弟に対し、一度入院すると入院癖がついてしまうと言ってかわした。馬鹿すぎる。入院したいというのは、死にたくないということではないか。弟が考えた最後の生きる手段だったのに、私はそれを閉ざしてしまった。何と言うことだ。

当時私は精神科病院に勤務しており、入院病棟もある病院ではあったが、弟がそこに大人しく入院しているところが想像できなかった。それこそ薬に依存し、どんどん弟が弟でなくなる。そんなところしか考えられなかったので嫌だったのだ。でも今考えると、弟に合う病院もあったかもしれない。探せば他に道はあったかもしれないのに。弟は主治医にも入院のことは相談していたようだ。そこでも軽くあしらわれたらしい。最後の手段だったのにね。