一年前の年末年始を
どうしても思い出してしまいます。



個室へ移った父。

全身の倦怠感、
足の浮腫、
食欲なし。



個室になって
周りへの配慮が必要なくなり
父も気が楽になったかもしれないけれど


やっぱり人恋しいからなのか
私が行くと
テレビはずっとついていました。


この頃の父は
トイレに行く時以外は
ベッドに横になって
ほとんど眠って過ごしていたので
テレビを観ることはなかったと思います。



父のところへ行ったときに
前日とテレビのチャンネルが変わってると

「お父さん、リモコン操作できたんだ」と
そこでホッと安心する自分がいました。


年末ということもあって
父が選んでいたチャンネルでは
昭和の歌謡曲が流れていました。


テレビを観ることはなかったけれど
きっと耳で聴いていたんだと思います。




この頃 話すことも辛かった父ですが、
私が会いに行くと
ポツリポツリと
いろいろな話をしてくれました。




ゆっくり流れる時間で
いろいろなことが
走馬灯のように思い出されていたのかな。



特に多かった話は
祖父母のこと。



おじいちゃん、おばあちゃんのことを
もっとわかってあげればよかった…

何にもしてあげられなかった

自分がこうなって
やっとおじいちゃん、
おばあちゃんの気持ちがよくわかる…
辛かっただろうな…




他界している祖父母に対する後悔の言葉を
私に話してきました。



私は
おじいちゃん、おばあちゃんにも
お父さんの気持ち伝わってると思うよ

と答えました。





自分の人生を振り返り
私に話すことで
父は心の整理をしていたのかもしれません。




私はベッドに腰掛け
パンパンに浮腫んだ父の足を
自分の膝の上にのせて

保湿クリームをたっぷり塗って
ゆっくり ゆっくり
マッサージをすることが
この頃の日課でした。



浮腫がひきますように
父との時間がまだまだ続きますように


祈りながらマッサージをしました。





そして 父もまた
私のマッサージを
楽しみにしてくれていたようです。


亡くなった後、
担当してくださっていた看護師さんが
教えてくださいました。




浮腫んだ父の足には
少しの力を加えただけでも
指が沈み込んでしまいました。


かかとから膝に向かって
力を加減しながらマッサージしました。


あの時の手の感触は
今でもまだ覚えています。




父との大切な時間。

父にしてあげられることを
必死で探していたあの時。


マッサージを楽しみにしてくれていたと知って本当に嬉しかったです。

ほんの少しでも
父の力になれたなら
それだけで幸せなことでした。








一年前は
人生で一番辛い年末でした。


でも 辛かった中でも
父が生きてくれていたから幸せでした。


生きてくれているだけで
ただ それだけで 幸せだったのになぁ。





父がいない
はじめての年末年始は
やっぱり淋しいですね。




今年は
一生懸命闘った一年前の
自分のブログを読み返しながら

心の中の父と一緒に
年を越そうと思います。