父とのことを
思い出しています。



一年前のちょうど今頃、
父は最後となってしまった入院をしました。



最後の最後まで
ひとり暮らしを貫いた父。



私の家で同居することも拒み、
訪問介護などのサービスも受け入れてくれず、

なんとか
助けてあげたいと思っていても
どうすることもできなかった
一年前の11月。



通院に付き添い、

父の家がある最寄り駅まで
一緒に帰り、


私に
「今日はわざわざありがとうな」
と言って電車を降りて行く
痩せ細った父の首すじと背中を

ただただ見送ることしかできなかった
あの日々を今でもよく思い出します。



あの時の私も
もちろん必死でした。


気難しいところがあったので
言葉やタイミングを選び
父の機嫌を伺いながら
父を少しでもサポートできるように
頑張っていたと思います。




父が最後まで
自分の家にいたい、
一人で大丈夫だ、と言っていたのは

娘達に
迷惑をかけたくないという
優しさだったのかもしれない。



でも 父が亡くなって
誰もいない実家に行ったときに


こんな広い家で
一人で病気と闘っていた父を想うと


あの時 父が拒んだとしても

それでも 無理にでも
父を私の家に連れてくればよかったな…と
思ったりもします。



どうすることが一番よかったかなんて
あの時も 今も
答えなんてでないけれど


一人にしてしまってごめんね

もっとそばにいてあげられなくて
ごめんね



その気持ちは今も残っています。






一周忌の法要で
父を想い、
辛かったこともたくさん蘇ったけれど

久しぶりに思い切り涙を流せて
心が楽になった自分がいました。




亡くなって 時間が経つと

知らないうちに
悲しみを抑える方法を覚えてしまい

人前で涙を見せないように
心に蓋をしてしまっていたので

一人で思い出して
こっそり涙を流すことしか
できなくなっていました。


だから
法要でみんなが集まり
父のことだけを考える時間を
みんなと共有できて

抑えていたいろんな感情を
涙と一緒に流せてよかった。



もうきっと
痛くないよね。
苦しくないよね。

会えないことは寂しいけど

生きていたときと変わらず、
もしかしたらそれ以上に
みんな お父さんのことを想ってるよ。


だから
安心して天国でゆっくり過ごしてね。



最期まで
強かったお父さん。


ありがとう。


私も強く生きなきゃね。