今日はこども達を連れて
父の妹(私の叔母)のところへ
遊びにいきました。
私の父と母が離婚したのが
私が幼稚園の頃だったのですが、
その頃の幼稚園は
母親参観日や
運動会で母とこどもが一緒に行う競技など
まだまだ母親が必要な状況がたくさんあり、
祖母や叔母が
いつも母親の代わりに参加してくれていました。
その頃叔母には
幼いこども(私のいとこ)もいたのに
本当にありがたかったことだなぁと
今、自分が親になってみて
改めて思います。
私が母親のいない悲しみを
最小限に押さえて過ごせたのは
祖父母、そして叔母のおかげでした。
本当に感謝してもしきれない人、
そして
私にとって叔母は
母親のような存在の大切な人です。
学生時代も、子育て中も、
何かあれば連絡をして遊びに行って
叔母には頼りっぱなしでした。
父の病気がわかってからも
叔母にはいろいろと話を聞いてもらいました。
叔母自身、
数年前に肺がんを患っていて
体調の優れない日も多い中、
話を聞いてあげることしかできないから
なんでも話してねと
いつも私の話を聞いてくれました。
孤独と不安の中、
叔母の存在がどんなに心強かったか。
あの頃 叔母に胸の内を話せていなかったら
私の心は
壊れてしまっていたかもしれません。
叔母が
私の苦しさを半分にしてくれていました。
叔母も苦しかったはずなのに。
本当に感謝しています。
父が亡くなってからも
叔母の体調をみて
たまに電話をしたり、
顔を出したりしています。
私のこども達のことも
幼い頃から
自分の孫のように可愛がってくれていて
こども達も叔母を慕っています。
今日もこども達が遊んでいる間、
叔母といろいろな話をしました。
叔母とは
あんなことあったよね、
こんなことあったよね と
昔の懐かしい話をよくします。
そして
父のことも話します。
あの時こうすればよかったかね…
でもあの時は
どうしたらいいかわからなかったんだよね…
ついついお互いに
弱音や後悔の言葉がでます。
そしてお互いに
一生懸命やってたよ
お父さんもきっと十分だよって言ってるよ
と励ましの言葉をかけ合います。
その時その時を
知ってくれているからこそ
○○はよくやったよ!
という叔母の言葉が
本当に私を救ってくれます。
わかってくれる人がいてくれるって
こんなに救われるんだなぁ…と実感します。
父のことを話すということは
楽しい時のことばかりではなく
辛く、苦しい時のことも
思い出すことになるけれど
きっとこうして話すことで
共感してもらったり、
一緒に悲しみを分け合うことで
一歩ずつまた前を向けるんだと思いました。
父が亡くなってから半年。
こども達や主人の前でも、
友人の前でも
悲しく辛かったときのことを
なるべく話さないように気をつけています。
こども達には
じいじとの楽しかった思い出を
たくさん覚えていてほしい。
主人や友人には
あの時たくさん心配してもらっから
もう大丈夫!という自分を見せていたい。
でも
私の心のどこかに
あの辛く苦しかった時のことも含めて
すべて隠さず父のことを話したい
という気持ちが残っています。
辛いことを思い出してでもいいから
一生懸命闘いぬいた父を
これからもずっと忘れたくないんです。
だから
叔母と包み隠さず
父の話ができることは
本当に本当に幸せでありがたいです。
叔母がいてくれて
本当によかった。
話しても話しても、
また
話せば話すほど
どうしようもなく寂しく
辛い気持ちになることもありますが、
話をしていくことで
現実と向き合い
少しずつ少しずつ
前を向いていけるのかな
と思っています。
父の分も
叔母のことを
これからも大切にしていきたいです。