父との日々を
思い出して書いています。



父が亡くなってから
いろいろ思うことがあります。



今日は緩和ケアのことを
書こうと思います。






『緩和ケア』のイメージ。


一昔前までは
緩和ケア=終末期 というイメージが
強かったと思います。


私も
そう考えてしまう一人でした。



しかし、
父の病気を支えるために
いろいろと調べるにあたり

今は
癌が見つかった時から
緩和ケアも並行して取り入れる事で

闘病中の
精神的、肉体的な辛さや不安を
ケアしていけるということを知りました。




私の父は
自分の病気について
積極的に調べる人ではありませんでした。


スマホ、パソコンが使える
環境にあった父なので、

調べるすべがなかったわけではなく、
調べない選択をしたのだと思います。

 
最期のその日まで
目の前にいる
主治医の言葉を信じ、
一つ一つ頑張って病気と闘っていました。


一方、
私は父とは正反対で
とにかくありとあらゆる情報を
できるだけ集めていました。


全ては
父の病気を支えていくために。


膵臓がんに関する情報は
厳しいものが多かったけれど、

その中に少しの光となる何かを
見つけたかったんです。





父は2017年3月の手術後、

再発予防のための
抗がん剤(TS-1)をやることになりました。

ありがたいことに
耐え難いほどの副作用はなく
服用することができていました。


しかし、
その時間は長くは続かず
2018年9月 再発が確定してしまいました。


今までのTS-1では
もう効果がないとのことで

ここで初めて
先生から『緩和』という言葉がでました。


父に与えられたのは

①別の抗がん剤に切り替える
②緩和治療に切り替える

この二択でした。


父は治療を望みました。

比較的副作用が少ないと言われている
抗がん剤をゲムシタビンに切り替えました。





私は後悔しています。



再発が確定したこの時、

どうして先生に

今後 父に起こりうる
いろいろなことを聞かなかったのか。


膵臓がん再発というのは
一体どういうことなのか?

このタイミングで
緩和ケア、介護認定、訪問看護など
積極的に取り入れたほうがいいのか?


そして

父はあとどのくらい生きられるのか…



先生に
聞きたいことはたくさんありました。



でも
診察室には先生と私と父。


良くなりたいので
ゲムシタビンに切り替えて
頑張ります!と言っている父の横で


私は
何も聞くことができませんでした。


頑張ろうとしている父に
これ以上の不安を与えたくなかった…

その気持ちでした。


目の前の先生の言葉を信じ、
それだけを支えに頑張っている父。


父自身が
先生に聞かないということは

今の父は
今後起こりうることを聞きたくないのかもしれないと 

あの時の私は
判断してしまいました。





もしあの時 先生から

膵臓がん再発の
平均的余命が9ヶ月であることを
聞かされていたら


父はどうしていただろう。


それでも
抗がん剤をしていたのだろうか?


緩和治療に切り替えて
残りの時間を
もっと父らしく過ごせていたのではないか?



余命1ヶ月という
辛すぎる、酷すぎる
苦しい宣告を受けずに

最期の時間を
父のペースで過ごせたのではないか?




そんな事ばかり
今も、きっとこれからも
私の中から消えません。




一生懸命だった
あの時の自分を
責めることはできないけれど


それでも
やっぱり 悔しい思いは残っています。





父が亡くなる少し前に行った
緩和ケア病棟の面談で

緩和ケアの先生に言われました。


もっと早くに
うちに来ていたらなぁ… と。




実際、
父は緩和ケア病棟へ転院する前日に
息を引き取りました。



どうすることが
父にとって一番だったのか。

正解はないのかもしれません。



何をどう思っても
いなくなってしまったから


ただただ
悔しさだけが残っています。