父とのことを
思い出して書いています。



一軒家に一人で暮らしていた父。


2017年3月の膵がん手術後に
1ヶ月ほど私の家にきて
静養していましたが、

その後
自宅に帰ってからは
何があっても
最後の最後まで
父は自宅で過ごすことを貫きました。


急性膵炎や
輸血が必要なほどの貧血、
食欲低下…


その都度
何度も何度も
一人でいさせるのは心配だから
我が家に来てほしいと伝えてきても

父はそれを拒みました。


長年一人で暮らしていたので
全て自分のペースで生活することが
楽だったというのもあったとは思いますが、


やはり
娘夫婦に迷惑をかけたくない、
お互い気を遣うだろうから…
という気持ちが強かったんだと思います。



正直、
父は気難しいところもあったので
一緒に暮らすことになっていたら
それはそれで
私自身もきっと
何かしらの悩みやストレスは
あったはずです。


でも
どうみても一人にしておけない状況でさえ
ここで一人で大丈夫!と
言い続けてきた父の頑固さに
苦しんできたのも事実でした。



その中で
私が一番辛かったのは


余命1ヶ月の宣告をうけ
精神的にも肉体的にも
本当に本当に限界を迎えていた
2018年12月。



食欲もほぼ0。
足の浮腫。
全身倦怠感。

ありがたいことに痛みに関しては
父はオキシコンチンでコントロールできていたので亡くなる時まで痛みに苦しむことはありませんでした。


その頃私はほぼ毎日
こども達が学校に行っている時間は
父のところへ通いました。

あの時の父は
誰がどうみても
一人でいれる状況ではなかったのです。


一人にしておくのが心配だから
我が家に来てくれないか?といってもダメ、

とにかく食事もとれてないから
時間外でも夜間救急でもいいから
とにかく次の外来を待たないで
病院に行ってみようといっても
大丈夫だからの一言。


このときが
一番参りました。


ただただ
衰弱していく父を見て

何もできず
夕方にはそんな父を一人残して
自分の家に戻るしかなかった。


今思い出しても
本当に辛い時間でした。




そんな父が見せた
限界のサイン。


その時のブログ…



その後バタバタしてしまい
書けませんでしたが、

この時
包括支援センターの方から
『レスパイト入院』という制度を
教えていただきました。


簡単にいうと
一時的に入院させてもらえる制度だそうです。
(すみません。詳しくは『レスパイト入院』で検索してみてくださいね。)


結局、
父はレスパイト入院を利用することなく
主治医の外来まで耐え抜いて
そのまま
入院させてもらうことになりましたが、


あの時は
本当にどうしたらいいかわからなかったので
包括支援センターの方から
こんな制度もありますと教えていただき

レスパイト入院先の
病院の方との連携もとってくださり、
本当に本当にお世話になりました。



言葉がうまくまとまりませんが、

私が父のことで
勉強させてもらったこと。


それは
一人で頑張りすぎちゃいけない、
周りに頼る勇気も大切ということでした。


私が父を支えていかなくちゃ、
私しかいない…

とつい思っていましたが、


包括支援センターの方、
病院の相談員の方、
訪問看護ステーションの方等


父を、そして
その家族をサポートしてくれる人が
こんなにいてくれるんだと知り、
本当に本当に心強かったです。


私の場合は特に
包括支援センターの担当してくださった方が
本当に親身になって
いろいろ話を聞いてくれて、
いろんな手続きも代行してくださって、
本当に救われました。


父の件で
初めて包括支援センターに電話をかけたのは
2018年の秋くらいだったと思います。


今後起こりうることが不安で仕方なくて

一人で暮らしていけるのか?
ひとり暮らしの父は
市のどんなサポートを受けられるのか?
介護申請はどのタイミングで依頼すればいいのかを聞きたくて
父には内緒で電話をしました。



あの時
勇気を出して電話をしていなかったら、

私も父もきっと
もっと辛く孤独な闘病生活に
なっていたと思います。


今となっては
もっと早くに
相談してみればよかったな…と思います。


もし今、
一人で苦しんでいる方がいたら

地域や市町村、
病院の相談室などに

勇気をだして
電話をしてみてほしいです。



あの時の私に
そう教えてあげたいです。