父の病気は
2017年1月に見つかりました。

2年間の闘病生活になりました。




病気が見つかったとき、

手術が決まったとき、

抗がん剤をはじめるとき、

再発が見つかったとき、

別な抗がん剤へ切り替えるとき、

転院を決めたとき、

抗がん剤ができなくなったとき、

緩和ケアへの移行をすすめられたとき、

残された時間が月単位だと知ったとき、

できることができなくなってきたとき、

食べれなくなったとき、

トイレへ行けなくなったとき、


最期の時が近づいてることを
父自身が悟ったとき。





どれだけの試練を
父は乗り越えてきたのでしょう。




2年前に病気が見つかってからも
父は生きることを決して諦めませんでした。



私の息子の成人式までは
何が何でも頑張らないと と。


あと10年は生きるんだ と。



抗がん剤の副作用にも弱音を吐かず

このくらいは仕方ないんだ
もっと大変な人もいるんだから と

気持ちを奮い立たせて
前を向いて 闘ってくれました。



2018.12.4
ずっとお世話になっていた大学病院への通院が辛くなり、転院を決めたとき
そこで初めて 余命を聞きました。


まさに診察室に入るまで
あと10年は生きたいと
話していた父に告げられた余命1ヶ月。


時間は戻りません。

どこのタイミングで
告知されるのがよかったかなんて
誰にもわかりません。

もちろん
主治医の先生を責めるつもりもありません。

知りたかったら
こちらから聞くタイミングはあったのです。



何がベストだったのかもわかりません。



ただ



ただ


余命1ヶ月は短すぎました。





気持ちを切り替えて
余生を送ることを考えていく間もなく

父の状態は
みるみるうちに悪化していきました。



死を受け入れるために
買ってくれと頼まれて買った本。


その本を読む時間と体力さえ
奪われてしまいました。





父にとって
何が正解だったかなんてわかりません。


もっと早くに告知してもらってたら
逆に苦しく不安な時間が
増えたのかもしれません。


でも 今思うことは

せめて 

父が動ける時間を

受け止める時間を


もう少しだけ
与えてほしかったです。







お父さん、

お父さんは今どう思っていますか?


いいんだよ、
これでよかったんだよ。


そう 思ってるのかな。