木梨憲武さんと奈緒さんの『春になったら』というドラマ、見たら複雑な気持ちになるだろうなと思いながらも見てしまいました。



結婚を決めた娘と3ヶ月後に亡くなる父。

※ここから先はネタバレあり



私は結婚する予定も無いし、父は悪性リンパ腫から寛解し、今も通院はしているもののピアノ教室に通ったり母と2人で出かけたり日常を楽しめるまでになりました。



でもこのドラマを通して父との関わり方について考えるきっかけになりました。



父との関係って母との距離に比べると少し遠いような、でも一緒にいる時の空気感で言葉を交わさなくても通じ合えているようなところもあったり。



私と父は食の好みが似ているので食べる事になると一致団結したり、私が買ったチョコレートを父に奪い取られたりウシシ



昔は怖かった父も今では怒る事はなくなり、孫といる時は完全にお爺ちゃんという感じで歳とったなぁと思う事があります。



ドラマで木梨憲武さんは父より随分と若い父親の役ですが、膵臓癌で助かる見込みが少ない為、癌を受け入れ治療せず自分らしく死にたいという想いを娘に伝えますが、娘は治療を受けさせたい派。



『治療を受け始めてしまったら俺は癌と戦うだけの人になってしまうんだ。それで1年や2年生きたって何の意味があるんだろう。それだったら俺は残り3ヶ月仕事をしていたい。やり残した事を思いっきりやりたい。お前の父親でいたい。』


『告知されてショック受けて、何で俺がって腹立って、癌が消えるなら何でもするって神様にお願いして、でもやっぱりどうにもならないって落ち込んで、最後は受け入れたんだ。わかってくれよ。』



この言葉が本当に自分に言われてるかのように思い、胸に突き刺さるような気持ちになりました。



きっと父が今も闘病中だったら絶対見ようと思わなかっただろうドラマ。



闘病中に見ていたら余命宣告された時、本当のことを父に伝え、治療を勧めたのだろうか…。



治る見込みが低くても最後の最後までベットの上で管に繋がれ治療をする事が正しいのか。

きっと判断に迷ったと思います。



寛解したから真実を告げなかった事が正解だったと今は思いますが、家族が癌になった時、本人以外の家族も普通の精神状態ではいられないし、生活そのものが癌が中心になってしまう。



本当に色々と考えさせられるドラマです。



4話までNetflixで見ましたが、暗く重い話の内容では無さそうですが、最後まで見る勇気がなくなりました。



大阪には寄付だけで民間が運営しているこどもホスピスがあり、『こどもホスピスの奇跡』という本を読み、治る見込みが無い子供達が遊べる場所を提供している場所がある事を知りました。



学校へ行けず友達と勉強したり遊んだりする事もできずベットで管に繋がれたまま亡くなる事が本当に幸せなのかというところからできた施設です。



命は1つで他に代わりはないから命に関わる判断は本当に簡単ではありません。



みんなが納得のいくようにできたら1番いいけど、全てがそうなるとは限らないし、正解って無いと思いますが、やっぱり最後は本人の意思を尊重するのかな。



父も母も癌を経験したので、一度きりの自分の人生悔いなく生きてほしいと思いました。



週末の三連休、また実家に帰って父と母といっぱい話ししてたくさん笑おうと思います照れ