武蔵嵐山(嵐山町)は、平安時代後期の豪傑な武将・木曽義仲や鎌倉幕府の有力御家人の畠山重忠ゆかりの場所です
(武蔵嵐山駅前に重忠くん?がいました)
『菅谷館跡』(菅谷城)は、畠山重忠が築いた居館跡です
※現在残っているのは、菅谷館の後の戦国時代に築かれた城跡です
(駅にも『菅谷館』が紹介されていました)
(『菅谷館跡』の入口)
畠山重忠は、鎌倉幕府を開府した立役者のひとりとされ、源頼朝の信頼も厚く、その言動から、後世に”武士の鑑”と称されました
小山の上に「畠山重忠公像」が建てられていました
畠山重忠は平家軍を追討する「一ノ谷の戦い」の際、愛馬・三日月をいたわって、三日月を背負い崖を降りたという「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」の逸話が残るほどの怪力の持ち主でもありました
そんな重忠も頼朝の亡き後の1205年(元久2年)、権力を握ろうとした北条氏の謀略により42歳でこの世を去りました
菅谷館跡のほか、杉山城跡、小倉城跡、松山城跡などがある比企地域には現在15世紀から16世紀に築城された69カ所の城跡があります
そのうちの上記4城館跡は「比企城館跡郡 菅谷館跡」として国の史跡に指定されています
ところで・・・
畠山重忠といえば、『武蔵御嶽神社』に奉納した日本三大鎧であり国宝に指定されている赤絲威鎧(あかいとおどしのよろい)があります
・・・が、何度か『武蔵御嶽神社』へは参拝していますが、宝物殿へは入ったことがないので実物を見たことはありません
宝物殿の前には畠山重忠の像があります(2021年5月参拝時に撮影)
次回は必ず見て来ようと思っています
『菅谷城(菅谷館跡)』の御城印、いただきました
左の『菅谷城』の御城印は上杉氏の「竹に雀」と、小田原北条氏の「三つ鱗」の二つの家紋をあしらったデザインです
右の『菅谷館跡』の御城印の文字は、近くの大妻嵐山中学校・高等学校書道部の皆様の作品(6月1日からの題字は佐伯さんの字)、背景イラストは美術部の小澤さんによる作品です
武蔵嵐山駅周辺は、「嵐山渓谷」や「オオムラサキの森」、「都幾川桜堤」、「鎌形八幡神社」・・・など、まだまだ散策スポットがありそうです
機会があったら、涼しい季節かサクラの咲く季節に再訪したいです
2024.6.19.