ちょっと野暮用でここへ下矢印行ったついでに・・・

image

 

近くに鎮座する『北谷稲荷神社』へ初参拝しました神社

 

image

(渋谷公園通り側の参道)

 

当ブログでは、実に約3カ月ぶりの都内神社の紹介ですてへぺろアセアセ

 

周辺はNHK放送センターや渋谷区役所・渋谷公会堂など商業施設などが立ち並ぶ都内の中心部のひとつでもある地域

 

image
 

そんな街中に鎮座する『北谷稲荷神社』は、”THE・東京の神社”そのもので、こじんまりとしていながらモダンな社殿が建つ境内は都会ならではの様相です

 

image
 

すぐ近くに鎮座する森林に囲まれた『明治神宮』とは全く雰囲気が違います

 

モダンな社殿を設計したのは、菊竹清訓建築設計事務所によるものです(1997年竣工)

 

image

(社務所内から拝殿を望む)

 

菊竹清訓氏は、他にも『江戸東京博物館』『東名高速蛯名サービスエリア』『九州国立博物館』などの設計も手掛けています

 

image

 

『北谷稲荷神社』の創建年代は不明ですが、『新編武蔵国風土記稿』には「田中讃岐守直高が文明年間(1469~1487)に駿河から移住した際に邸内の艮(ごん、八掛の方角で東北)に御祭神の分霊を勧請したとの記述があります

 

また、1660年(萬治3年)に大破し再建した際の棟札に「武州豊島郡澁谷村総鎮守稲荷大明神者従往古當所何時不知勧請江戸山王社家小川職部持」とあることから、文明年間以前に創建されたとも推測されています

 

鎮座する場所が旧小名北谷の地にあることから、『北谷稲荷』の社号がつけられました

 

主祭神として宇迦之霊大神を祀り、配神に大己貴大神大宮比賣大神神功天皇大田大神(猿田毘古神の異称)を祀っています

 

御利益は、五穀豊穣・家内安全・開運招福・縁結び・出産育児・・・などがあります

 

 

表参道(ファイヤー通り側)に建つ特徴的な鳥居は、『日月鳥居』と呼ばれています

 

image
 

正面の扁額部分には日を象る円形、その背面には月を象った半月形が刻まれています(裏面の写真はありませんアセアセ

 

image

 

 

境内末社の『土師(はじ)家天満宮』

 

image
 

御祭神の菅原道真公の本姓たる土師氏に因んだ社号であり、技芸学問に御神徳に加え、麻疹及び疱瘡病などにも霊験あらたかとされ、祈願すれば必ず病いは平癒すると言い伝えられ、江戸時代から明治時代までは多くの人が参拝に訪れました

 

 

もうひとつの末社『宇田川出世弁財天』

 

image
 

宇田川と渋谷川との合流点近くの宇田川河畔に、江戸の頃より枝ぶりも見事な松の木があった

ここは旅の者や荷を運ぶ農民達の憩いの場所で地蔵が一基あり、人々の信仰を集めていた

1930年(昭和5年)、東京市は区画整理のため、この松を取り除く作業をさせたところ、関係者の中から負傷者が多く出て、“恐ろしい松” “ご神木” と騒がれた

そこで道玄坂の人々が弁財天と龍神の祠を造り、松と共に神南町にお祀りをした

松は移植したのち枯死したが、弁財天の効験はあらたかで、地元道玄坂町や近隣の人々から出世弁財天と崇められ信仰が盛んになった

戦災の後、旧国鉄用地内に遷されたが、1955年(昭和50年)当社境内に遷座された・・・宇田川出世弁財天の説明版より

 

 

『北谷稲荷神社』御朱印、いただきました

 

image

 

 

都会のビルとビルに挟まれた中に鎮座する東京らしい神社でした

社殿や社務所も近代的でモダンな造りで、一見「ここは神社なの?」と疑いそうになりますが、境内に一歩足を踏み入れると、一瞬にして静寂と厳かさに包まれます

都会の街中で見かける同じような空間では、決して感じる事がない雰囲気は、神力なのか永い歴史から来るものなのか、はたまた参拝する人の気持ち(心根)から生まれるものなのかは分かりませんが、何かがそこにあることは間違いないのではないでしょうか

 

久しぶりに都内の初参拝の神社でWAKUWAKUしましたニコニコルンルン

 

 

2024.6.4.