来年2023年の某局の大河ドラマ『どうする家康』でも登場するであろう三代将軍家光の乳母として知られている春日局

 

二代将軍秀忠が国松(竹千代の弟、のちの徳川忠長)を重宝したことにより、家康に竹千代(のちの三代将軍家光)の世継を確定させるように直訴したとのエピソードもあることから、恐らくドラマ終盤に登場するであろう徳川幕府にとっては重要人物です

 

まだ登場するかも、もちろん配役も分かりませんが・・・アセアセ

 

 

そんな春日局の墓が湯島本郷にあるのをご存知ですか?

 

 

 

麟祥院(天澤山麟祥院)

 

臨済宗妙心寺派(御本尊:釈迦如来)

 

春日局の菩提寺であり、終焉の地でもあります

 

 

1624年(寛永元年)、春日局は将軍家光から湯島本郷の地を賜り

「報恩山天沢寺」を創建しました


1630年(寛永7年)、高徳として知られていた野州宇都宮の興禅寺の渭川和尚を新しく住職として迎え開山としました
 

1634年(寛永11年)に春日局が渭川和尚から「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」の法号を贈られたことをもって、家光より法号を寺号とするように命じられました

 

これによって「天澤山麟祥院」と改称されました
 

 

 

境内の墓地の一角に春日局の墓があります

 

 この墓石の四方と台石には、それぞれ穴が開けられています

 

 

これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」と言う春日局の遺言によるものだそうです

 

春日局の強運賢徳にあやかり・・・又、墓石に穴が通っていることから「願いが通る」との御利益がある噂が広まり、江戸時代には多くの人が参詣しました

 

 

小さいながら・・・禅宗らしいお庭もありました

 

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御朱印、いただきました(書き置きです)

 

 

 

春日局の墓へ向かう墓地手前に「東洋大学発祥之地」の石碑が建てられています

 

 

1887年(明治20年)に井上円了が、寺の一棟を借りて東洋大学の前身である哲学館を創立しました

 

100年後の1987年(昭和62年)に石碑が建立されました

 

 

 

いつの間にやら門前に春日局之像が建てられていました

 

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以前、区立礫川公園内に建っていた春日局像を2019年(令和元年)に春日局の菩提寺である麟祥院前へ移設したそうです

 

 

 

麟祥院は、あまり認知されていないので参拝する人もまばら・・・

 

徳川時代の強固な地盤を築いたひとりの春日局が、東京の片隅で今の世をどのような思いで見守っているのでしょうね?

 

春日局が隠棲所とした場所にふさわしく静かな境内で聞いてみたくなりました

 

 

 

東京・武蔵野ほっこり町あるき

大野義昭