書くことをサボってしまうと、なかなか次に進めないものです。

少し今回は重い話になってしまうかも。

 

4月を通り過ぎることが、こんなに困難なことだとは思いませんでした。

2人の命日が重くのしかかって1年前のことを思い出しながら生きていくことの難しさ。

夫の代々のお寺は高野山真言宗のお寺。由緒あるお寺での法要は私には遠い存在すぎて住職様のお話もよく聞き取れませんでした。義両親と義妹と私の4人。もしかしたら、もうこの4人で会うこともないかもしれない、という思いがよぎりました。

私は教会員なので、やはり自分にとって馴染みのある安心できる教会で過ごす時間があればと思いました。そこで夫の1年を覚えて牧師にお願いをして祈りの時をご一緒してもらいました。自分のためだけに時間をとってもらうことの大切さを痛感し、その日は私だけが夫を独占できる時でした。牧師3人と私だけの深い悲しみと慰めの時間は、その前日に見た鎌倉霊園の満開の桜と共に長く記憶に残り、私の心の支えになるのだろうと思いました。

実父の法要は静岡県島田市の曹洞宗のお寺。住職様とは祖父母の葬儀でお世話になったり、家仕舞いの時に御仏壇の御霊納めに来ていただいたり、お墓参りの際には必ず顔を見せてご挨拶に伺っていました。実父のこともよくご存知でしたし、私の娘たちのことも覚えていただいていました。法要でのお話も、私たち姉妹にわかるような言葉で、心が安心するような優しい雰囲気でした。

夫のお寺での法要以外は自分で企画をしてお願いして実行しましたが、しきたりの確認や連絡、日程確保など慣れないことばかりでヘトヘトになりました。誰と一緒に、どのくらいの規模で、どのくらいの費用がかかるのか?常にわからないことばかり・・・

無事に全てを終えられた時には本当にホッとしました。自己満足と言えばそれまでですが、その満足感が欲しかったのだと思います。

1年前のこんな時、あんな時、誰がいた、誰かの言葉、自分の行動、家族の思い。

気持ちの揺れが、ゆらゆらしながら、右往左往しながら、それでも自分の元の場所に戻ってくることができれば良い。学んだことを活かして、これからも生きていければ良いのかと思います。

 

鎌倉霊園の満開の桜

思わず車を停めてパチリ

静かな園内も、この日ばかりはお花見墓参の家族連れか多かったです