ー私の人生を占ってー

人生の先のことはわからない。
わからないことを不安だと人は感じる。

それで人は、先のことがわかると言う人に、先のことを占ってもらうことを求める。

ところで、ここで気をつけてみたい。

そのように言われるのは、全て言葉によっている。

言葉で語ると言う事は、言葉で語らなければ何事でもないことを、
何事かであるかのように語ることである。

ここに占いのトリックがある。

人は、物語が欲しいのである。
物語がなければ、人生は何事でもないからである。

思うに、人生に物語を求めるとは、
人生は何事でもないと言う自由に耐えられないからである。

人は、言葉によって規定されたい、縛られていたい。
人間は言語のマゾヒストなのである。

ー池田晶子 「勝っても負けても」よりー



言葉がこの世界を作っている。
そして言葉がこの世界を分ける。

自分と自分以外のものをわけていく。
そうしないと社会で生きていくのは難しい。
便宜上分けておかない事には物事に収集がつかなくなる。


子供が意思を持ち、自分以外のものを認識し始める一番最初が「お母さん」「ママ」だろう。

そこで自分と自分以外の分離が始まる。

言葉を持つ前は恐らく自分とママとの間に境目はない。

自分という認識がないからだ・・・・・

ママも自分も同じ階層にいるはず。

で、いつの頃かママという言葉でママを作り、自分を確立していく。

以前の記事で自由が一番怖いという趣旨を書いた事があるが、人は世界を固定したがる生き物だ。

私もそうだからよくわかる。

確かにこの世界には運命と宿命という摂理があり、どう抗ったところでどうにもならない事は山ほどある。

と、いうよりは、ほぼ自分が決めれる事はない・・・・と言った方が真実に近いような気がするのです。

自分で選択している風に見える事はたくさんあるだろうが、もしかするとすでに決まっている事を自分が選択したみたいな風になっている可能性だってある。

要するに選んでいるのではなく、選ばされている。

だって私は自分の人生を振り返り思うのだ。
何一つ自分で選択したものはないよな~と。。。。。

別に今の人生を不満に思っているわけではないが、自分が選択したと勘違いしているだけなんじゃ~ないかと思うわけです。

まずこの世に生まれるという事ですら、自分の意思とは全く関係の無い所で展開されるし、親側にしたって、どんなに子供を望もうと、妊娠すら思い通りになんて進まない。

だから不安なんでしょう。
だから未来を知りたくなる。

無駄な事だったわかっていても知りたくなるのだ。

しかし人生に正解も不正解もない。

どれも正解であり、不正解。

こんな不安定で不完全な場所にほり出されてしまったがゆえに、人は言葉を作りこの世界を分け、固定した。


人は正解が欲しい。

だから自分を決めてくれる何かに求める。世界を決めてくれる何かを求める。


世界ってどうなってるの、どうよ、、、どうなるのよ

私ってどうよ、どうなのよ、どうなるのよと(笑)

人生は意味がある・・・・

そう思いたい。


私達は安心する為に、言葉は物事を固定して、この世界を作る。
ものすごい魔術で技術だ。