先が見えないのは当たり前

「先が見えない不安」とは、人々の口癖である。

しかし、人生の先が見えないのは、当たり前のことである。
そんなのは今に始まったことでは無い。

人生の価値は、生活の安定や生命の保障にあると思っていると、そのこと自体で、人は萎えてくるように思う。

倒産から脳梗塞まで、人生にはいろいろあるのが当たり前だからである。
むろん、それはそれで本当に大変なことである。
けれども、そんな大変なことどもを、どれだけ萎えずに生き抜くことができたか、それこそが人生の価値なのだ。

そう思っていた方が、逆に生き易いような気がする。

-池田晶子「41歳からの哲学」より-






その通りでございます。

晶子先生(^_^;)

世の中の価値観として、不運と幸運・・・・良い出来事と悪い出来事を分けすぎて生きているようにつくづく感じるのです。

 

恐らく大きな視点で見れはどっちもただの出来事でしかない。

 

でも
不運な事が起こらないように
悪い事が起こらないように

 

恐る恐る生きている。
その未来の出来事の心配と恐れから少しでも楽になりたいために、人々は的を間違えたやり方をやってしまう。

貯金や保険と、資産運用的な投資と言った現実的な事から、占いやチャネリング・・オカルト的な手法のセッションが古今東西溢れているのはそういう人達がたくさんいるという事だろう。

晶子先生がどんなに伝えても、この上の文章を理解し、おのずから鑑みれるものは少ない。


本当にそれが悪い出来事なのか、
本当にそれが不運な事なのか

それすらも考える事はしないのが常だろう。

私もその瞬間(私にとって都合の悪い事が起こった時)は嫌な気持ちになる。
できるだけ早い段階で、気持ちを切り替えるようにはしているが、瞬間のクセというのは中々抜けるものではない。

物事が自分が考えていた事と違って進行すると苛立ちを覚える。

だからと言って、その出来事を自分の思い通りに軌道修正するという事は昨今しなくはなったが・・・・昔は無理やりにでも抗い、現実を変えようと心と体を疲弊させてきた。


今の眼の前の出来事は、ただそれが起きているだけ。
それに意味をつけてるのは「私の意識」という事を心に刻み付けておく必要がある。

まぁ見ているだけではどうにもならないので、現実的に、その時その時で行動、行為そのもので、出来事に対処していく必要があるが、少なくともそれに抗うエネルギーは使わない・・・と私は心に決めるのです。

 

その流れに乗る。。。。そう!気持ちよく乗ってやる!!(-.-)んですよ。

「受け入れる」ともいいますが、

 

私は「受け入れる」という言葉は好きではない・・・・・なんか軽々しいから
簡単に「受け入れましょう」と言いすぎている風潮がね・・・なんだかね(-_-)/好きじゃーない。

まぁそういうのでもいいですけどね(笑)もっとかっこよくありたいな~と思うわけです。

大変な出来事を「嫌々やらされている」感で生きるより・・ね、大変な事が来たら

「これってなに!!??どうなるの???ええええ~ウケルるんですけど(^◇^)」ぐらいの勢いで挑めれば人生楽しくなるはず。

どっちもやってきた経験上ですね、絶対に後者の方が早くその大変な事から抜ける事ができます。

やり切った方が終わるのです。

だらだら嫌々逃げる姿勢で対処していると、いつまでもそれをやらされます。

今までの経験上、恐らく通常はそうなんだと思います。もちろん例外もありますが。

そして
晶子先生のいうように、どんな現実でも「萎えずに生き抜く」これが「人生生き易く」なる秘訣。

私もそう思います。