時代とは何か、ひとりひとりの人間の生きているそこ以外のどこかに、時代と言う 漠とした何かが別にあるわけではない。
時代が悪いと言うのなら、あなたが悪いのだ。
何もかもすぐにそうして時代のせいにしようとするあなたのそういう考え方が、時代の諸悪のモトなのだ。
なぜ自分の孤独を見つめようとしないのか。
なぜよそ見ばかりしているのか。
不安に甘えたくて不安に甘えているくせに、なお誰に不安を訴えようとしているのか。

ー池田晶子「脾睨するヘーゲル」よりー





私が尊敬してやまない池田晶子さん没後10年という事で「絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉 」が発刊された。

基本、池田晶子さんの本はほぼ持っている。
持っていないものは図書館で借りて読んだ。

ここしばらく買ってないが、今回は池田晶子さんの「言葉集」という事だったので、買ってみた。

改めて読んだらやっぱりスゲーですよね。心にズドンと激突して痛い(^_^;)

ここまで突き抜けたら・・・・もうこの世に生きている必要は無かったんだろうな・・・・・と池田晶子さんの本を貪り読んでた頃には思わなかったことを今回感じた。

やっぱ池田晶子さんの、この正論はカッケー・・・・でもちょっとキツい(笑)というのが本音。

丁度池田晶子さんの本を貪り読んでた時期、私は尖って生きてた。

ツンツン尖ってた(笑)
そんな時期にはこんな事思わなかった。
私の意識があの時と明らかに違うのだな~と、実感。

同じ本を繰り返し読むってとっても大事なんですよね。今の自分がよくわかります。


変わったからと言っても、今も決して不安に甘えたくはないし、甘えようとも思わない。

なぜなら我が母がそうだったからだ。

まさしくこのセンテンス


なぜ自分の孤独を見つめようとしないのか。
なぜよそ見ばかりしているのか。
不安に甘えたくて不安に甘えているくせに、なお誰に不安を訴えようとしているのか。


を地獄にいるのか、天国にいるのか、まだ此の世を彷徨っているのか知らないが、母道江の霊魂にぶつけたい。

道江は不安に飲み込まれ、孤独から逃げようとして、追いつかれ羽交い絞めになり身動きできなくなった。

で、迫りくる電車に正座になり背を向けて「生きる」という事から逃亡した。

逃げれば追ってくる。
不安になれば不安は増幅する。

彼女はバカだからわからなかったのだ。

それを反面教師にしてしまった私は不安にも孤独にも逃げず立ち向かい・・・(笑)
傷だらけのローラで疲れ果ててきた。

だから私は考えた。

逃げずに、立ち向かわず、誰のせいにもせず、こうであるべきことを極限に少なくする。

孤独も不安もあってしかるべき。

あってもいい。

あ~孤独だな~

え~むっちゃ不安や~

やけどなんちゃない。

まだまだ出来損ないのワタシのやりかた。

Don’t worry. Be happy っぽい感じを目指す。



日本人の私にはちょっとハードル高めかな(笑)


あ~でも池田晶子先生はカッケーーーヽ(^。^)ノ