今年のお正月は日程が悪いから、帰省ラッシュが3日に集中するので、できるだけ日にちをずらして帰ってね。。。。とJRが広報していて、駅に張り紙もしてあった。
だからと言うわけではありませんが、私は予定通り昨日の2日、東京に戻ってきた。
12月早々で指定席は全く取れなかったので、諦めて自由気ままな自由席で帰ってきたけど、なんとなく信じていたわけで・・・・
結果的には普通にさほど苦労せず座って帰ってこれた。
丁度、車両の真ん中あたりまで来ると、目の前のB席が空いていた・・・・もう既に立っている人もいるのにである。
スルッと座って・・・・東京まで帰ってきた。
ダメな時はいけるようにな気が全くしないが、今回はなんとなく信じていた。
多分大丈夫。(≡^∇^≡)
やはりこの深い部分の「多分大丈夫感」と言うものを今年は大事にしていこうと思うわけです。
さて前置きが長くなりましたが、年末イノチを目の当たりにするような出来事があった。
昨年の秋口から・・・人は永遠に生きてるような錯覚に陥ってる感があるが、現実はいつこの世界から消えてもおかしくない危うい立場にあるものだよな~と。
そういう思いが、心の奥底から、なぜかしら沸いてくるわけです。
私のイノチの先が短いのかどうかはわかりませんが、色々なきっかけが重なりそう考えるようなった。
自分は死なないという幻想を少なからず誰しもが持っていると思うのですが、その幻想をできるだけ最小限まで、そぎ落として取っ払ってみようと思い始めたのです。
自分もいつかはこの世界から離脱する日がくる。。。それをしっかりとココロに留め置き毎日を生きて行こうと思うのです。
まぁだからと言って突拍子もないような事をすると言う事でもないのですが・・・・
元旦のブログに書きましたが、だから「深刻にならない」なんですよね。
深刻になっても仕方がない。
とりあえず私達が認識できる、目の前の現実が全てであるわけで、それ以上もそれ以下もない、、、、
この世界はパラレルワールドだという事も理解はしていますが、選択した世界も選択しなかった世界も、どちらが良かったのか・・・それは私達に今の時点ではわからない。
たくさんある平行現実に優劣をつける事はできない。
ただ、、、、自分はこの現実を選らんだという真実があるだけ。
なぜかその現実を選んだ、、、もうその自分の無意識を信じるしかない。
なので深刻さは不必要だと感じたわけです。
流れに従う、、、、任せる。私達が意図して何かをするなんて事、本当はできないんじゃ~ないかと思うほどです。
目の前の現実は私達の意識が作っていると、お軽い成功哲学的なスピ論者は言うが、私は意識ではなく無意識がこの現実を作っている・・・・と、思うわけです。
思えば叶う・・・・と言うのは半分真実で半分が嘘・・・・だと私は考えてる。どんなにポジティブに捉えても悲しい事は起こる・・・・それをどんなにマゾ的に「良い事が起こっている」と考えても現実は悲しい・・・・のだ。
そんな事をしていると心が壊れる・・・と、私は常々感じている。・・・と、これを書いているとまた長くなるので、おとり的ポジティブシンキングの捉え方はまたいつか・・・・・
で、続きです、イノチの期限を考えて、生活していると、自分の中から深刻さが薄らいでいった。
そして善悪の境界線が曖昧になってきた。曖昧になってくると、よくわかる。
善悪、良い悪いの境界線がはっきりすればするほどに、深刻になりどんどんしんどいし、憤りを感じて苦しくなっていた事が・・・・
なので基本どっちでもいい・・・ただ自分はどうしたいのか、それを判断基準にする。。
一般スピ的な楽し方、気持ちいい方を選びましょう~と言う事が言いたいわけではなく、「これがいい」という選択の多い生活を積み重ねていきたいと。
「これがいい」の選択をしたからと言って、それが「しんどい」時もあるわけです。それでもあえて、それを選びたいと思える現実でありたいと。
私の意識は、そんな事を昨年後半から強く思ってしまうのです。
そんな事を思って生活していたらですね、最後の最後にドカーンとイノチを突き付けられたわけですよ。
怖いですよね無意識って(笑)
で、何があったのかですが・・・・・
私の目の前で人が一人死んでいったのです。
長くなってしまったので、経緯についてはまた明日です・・はいすいません。