帰省してのお正月恒例行事が完了。

父健次がいない2回目の実家でのお正月が終わった。
明日からまた私の生活は通常営業となります。

今までもお正月には欠かさず墓参りはしていたが、弟が墓参りする事はなかった。

基本、私も仏壇にしても、お墓にしてもそんな思いいれがあって行ってたわけではない。

正直な所、墓も仏壇もどうでもいいと思っていた。

そんな場所に故人がいるとは思わなかったし、心の中で感謝し冥福を祈っていればいいものだと感じていた。

ただお仏壇に手を合わせたり、墓参りすると父健次が喜ぶから先祖を敬うフリをしていたのだ(笑)

しかし父健次が死に仏壇やお墓がとっても身近になった。

あきらかにお墓や仏壇に向かう姿勢や気持ちが変わった。

抽象的に無機物に向かって祈っていたものが、具体的に有機物に対して祈るようになったのだ。

その自分の変化に恥ずかしさを覚えるわけです。

あれだけ墓も仏壇も関係ない、要するに故人を偲ぶ……思う気持ちでしょ。

と、すべてをわかったフリして精神論をぶちかましていた。
立場が違えば物事の捉え方なんて、いとも簡単に変わる。

お墓や仏壇は死んで逝った人達と繋がる場所なんだと。

仏壇や墓に手を合わせると、あきらかに父健次が目の前にいるように感じる。
父健次の魂を感じるのです。

話しかけると、父健次が聞いていて、返事してくれそうな錯覚に陥るのです。

お墓や仏壇が大事な場所になった。
不思議な感覚だ。

私のお墓の前で・・・・という
墓に魂はないと言う歌が以前大ヒットしたが、いや魂は居るよね~(^_^;)と思えるわけですよ。

場所を作る事が大事なんだと……

神社だって初めから神社だったわけではない。

ちょっとわかる誰かが、ここに神を祀り祈る場所にしょうと決めて社を作って、そこに人々が参るようになり祈りの場所になった。

神と繋がる場所を人が作り、そこが神と繋がる場所になった。

仏壇も墓も同じなんだ~と。

今回、墓参りに行って来ると言ったら、初めて弟が一緒に行くと言い出した。

そんな事は初めてだった。

彼も父健次と繋がりたいと思ったんだ。
同じ思いを抱えた兄弟がいる事がありがたいと感じたお正月だった。

お父さんなんか家にいるよね(⌒-⌒; )

と、弟に言うと「うん」と苦笑い。

彼も感じてたんだ。なんか安心した。兄弟やってけると思った。

でもね気をつけないといけませんね。
自分の考え方なんて立場が変われば、ころっと変わるもんです。

変わってオッケーだし、変わって当たり前なんだけど、今の考え方、捉え方はぜったいではない。という認識は必要だな~

まさかの展開に驚いてる帰省体験でした。

親が死ぬ体験って、何年たっても本当に色々な事を教えてくれるものですね。


父健次が神さまを拝む後ろ姿