先日、バスに乗ったのだが・・・・

田舎町を縦断して駅に向かうバス。


途中、公民館かなんかの公共の施設前で停車した。

お年寄りがたくさん乗ってきた(T_T)


何かの寄り合いが終わった様子。


恐ろしいほどゆっくりと乗り込んでくる。


そして・・・いちいち運転手さんに挨拶をする。


運転手さんとみんなは顔見知りの様子。


運転手さんがいるからワタシらが動ける・・・生活できる…助かる・・・・云々・・・・


いちいち感謝の弁を述べてから乗ってくるもんだから出発までに気の遠くなるような時間がかかったil||li_| ̄|○il||li


地域に根ざした心優しい運転手さんは一人一人に優しい声をかけている。


まぁよそ者の私が文句を言う資格もないし。。。。。権利もない。


ただただじっと全員が乗り込むのを待つしかない。


そして10人程度のお年寄りが私の回りを囲んだわけです。


これからの高齢化社会の予行練習であり、自分自身もいつかなろうであろう姿と思いつつ必至で耐える地獄の10分


こんな事を書くと絶対に批判を買うのは分かってますし、高齢者を大切にしなければいけないと言う一般常識は重々承知してます。


運転手さんも私に気を使い『大変申し訳ないです。少々おまちくださいね』と断りまでいれてくれている。


私も大人の振る舞いはできる。


(*^o^*)いえいえ急ぎませんから大丈夫ですよ。ゆっくりされてください。


と、受け答えをした……が、心中はあまり穏やかでないのは正直なところ。


だけどお年寄りは大切にしないといけませんからね。


それが常識であり道徳心だし、それができないと非常識で非情な人だと思われる。


だけど思ってしまうのは仕方がない。


あ~うんざり(-.-)って。


車中も地獄だった。

みんな乗り込むと一斉にしゃべりだす。


誰も人の話を聞いていない。

全員が同時にしゃべっているのだ(笑)


何か公民館で催し物があった様子。


自分自身の主観を並べ立て是非を等々と訴えるのだ。


全員が同時に・・・・・誰も他の人の意見を聞いていない。


男性は主催者のダメなところを並べ立て、自分ならこう運営する、こうやらなきやだめだ!!などなどその会の不満な部分を愚痴る。


女性は主に食べ物の話。


それらのの話が尽きたら次は政治の話、アベノミクスがどうのこうの・・・


もうハチャメチャ理論が展開している。

ましてバス停でもない場所に二回も止まる始末。


お年寄りの家がその近くらしい。


いつも途中で下ろしてもらって助かりますと言って降りていった。


それもまた恐ろしく時間をかけて、全員に挨拶をしてから降りた(・_・;)


何度も言うが・・・・・

地域に根ざした優しい運転手さんはお客様のニーズに合わせて下車させる。


要するに市バスの看板を掲げてますが送迎バスなのですよね。


本当に素晴らしい運転手さんです。

個別対応ができる優しい運転手さん。


高齢者の方にとっては神様のような存在になってます。


一度、特別待遇をしてしまうとそれは特別ではなく当たり前になってしまう。


バス停がないにもかかわらず家の前でバスが止まるのは彼女にとっては当たり前なのだ。


そうしてもらって当たり前田のクラッカーなんです。


そしてそろそろ終点につきそうなところで、お年寄りはそれぞれに挨拶をし始める。


今年もありがとな~良い年を・・・・また来年元気に会おう!と


寒いから風邪ひかないように・・・・・
正月は病院やってないから風邪ひいたら困るからなと・・・


そこからかかりつけの医師の話がまたしばらく続いた。


風邪気味でもすぐに病院に行く様子だ。


ちょっと咳が出始めたから今から○○医院に行って薬をもらってくると。。


みんな
そうだそうだ・・・・ひどくならないうちに行っとかないといけない!!!と全員が賛同。


まあ高齢者は風邪から肺炎になるとテレビで脅してるので仕方がない。


でも大声で叫びそうになった。


咳が少し出たくらいで病院行くんじゃねぇ!!と


でもね~恐らくほとんどの人がこんな感性をしているのでしょう。


だから医療費がいつまでたっても減らないのだ。


医原病が減らないのだ。

薬害が減らないのだ。

寝たきり老人が増えて行く。

製薬会社と医者が儲かるのだ・・・・・


みんな自分のサイフから医療費を出すわけではないから・・・・・自覚できないし、しようともしない。


タダなものはなんでももらっておけ!


毒でもなんでもという世界である。


毒を食らわば皿までも・・・・の世界。


あ~私も年をとったらこういう風になるのか・・・・怖くなる。


できることならこうなる前に死にたい。
il||li_| ̄|○il||li


まぁそれはさて置き、すごく考えさせられた。


大きな力が意図し、作り上げてきた集団的意識を変えるのは不可能だと・・・・実感した次第です。


バスに乗り合わせた高齢者の皆さんにはそれぞれかかりつけの医者がいるようでした。


それぞれが良い医者だと思っている前提が


「うちの先生は薬をたくさんくれる」


「うちの先生は薬を変えてくれる」(多分新しい新薬だと言って変更している風)


「うちの先生は検査をたくさんしてくれる」


と、言う感じでした。


良い先生の条件としては「手術が上手」とか「手術件数が多い」とかも評価の一つでしょう。


しかし今回のバスの中では、その話はなかったです。


もう一つあったのは「うちの先生は話を一杯聞いてくれる」と言うのもありました。


その先生は単にヒマなんだろうな~・・・なんて意地の悪い事を思ってしまったが・・・・・


コンビニ感覚で医療を受ける事の怖さを知らなさすぎる事にうすら寒さを覚えました。


病院っていう場所の現実を受け止めるだけの知性をまず子供の時代から教える必要がある。


もうお年寄りはこのまま自由な感性で行ってもらうしかないですから。


いずれにしても・・・・・・年取るのが怖くなりました。