私がヨガを初めたのは20年弱前だ・・・・
ヨガを始めたきっかけは転勤で東京に引っ越しをした事・・・・
そしてに同じ年に怒涛の婚約破棄2連発。
この年は私にとって、結構なターニングポイントとなっている。
何度も書いているので詳しくは書きませんが、知り合いもいない、慣れない土地で、経験した事のないような恐ろしい体験(婚約破棄2連発)(笑)をして、もちろん体調は最悪に。。。。
心は壊滅状態・・・
思考の樹海にはまり頭の中はグルグル回り続けて頭は沸騰、心は凍結って感じ。
意識が心に落ちてこないのです。
頭にばかり血が行ってる。
言葉で書くのは難しいので、イメージで理解していただければと思うのですが・・・・
要するに人は悩んでいたり、苦悩している時には意識が極度に頭に行ってます。
なので頭が重くなる、もしくは痛くなる。
そして頭が重いので俯き加減になってしまうのです。
堂々巡りの思いが頭の中をグルグルして、人を攻め、自分を責め・・・・苦悩するわけです。
その思考呪縛から解き放たれるには、意識を心に落として頭に隙間を作り空気を入れてあげる事が大事です。
頭は酸欠窒息状態ですからね。
もう何も考えたくない!(息をしたい!)とヨガを始めた私は、動機が不純なヨギーなのです・・・・
呼吸に乗せてアーサナを行っている時だけは不安な気持ちが薄れるわけです。
思考が止まるので、悲しいとか寂しいとか、苦しいとか、人を責めると言う気持ちが薄れるわけです。
人よって苦悩を紛らわす方法は色々とあると思うのですが、私にとってはヨガだったと言う事なのです。
外側にそれを求める方法もあったと思うのですが、それをしてしまうと、また同じ事を繰り返す事が目に見えています。
外側に求める場合には「逃避」ですからね。
逃げていればそれは、またいつか目の前に現れます。
なので、とりあえず自分の内側を見つめなおす作業をしない事には、この事態から一生逃れられないと感じたのですよね。
その時の婚約破棄だけでなく、生まれた時から人生そのものがおかしかったですから。
多分・・・・小学生高学年の頃から「死にたい」病を発症していたと思うのです。
多分、その「死にたい」病の末期症状が婚約破棄、東京転勤だったのでしょう。(笑)
まぁそのハナシは横に置いといて・・・・
ヨガの基本は「身体」を通して内面知る方法だと私は思うのです。
知る為には知ろうとしないといけません。
その自分の内面を見つめ感じると言う行為がヨガと言う事になのでしょう。
自分自身のエネルギーの質を変える事はできません。(たぶん)
ただそのベクトルは変える事ができるはずなのです。
ベクトル(方向性)・・・・(^_^;)ちょっと違うかな。。。。
中々イメージに合う言葉が見つかりませんが・・・・・
方向性と言うよりはエネルギー量と言った方が近いかもしれません。
思考のエネルギーを向けている量が多いものが、現実化されやすいと言う事です。
例えばですが、自分が持ってきた武器の使い方が間違っていたという事なのですね。
正しい武器の使い方を知れば、おのずと生きる事が楽になる事は言うまでもありません。
そしてもう一つ、戦う武器の選定を間違えていると言う事です。
戦うと言う言葉を使うのは少し抵抗があります。
なので、まあ遊ぶ為の道具と言う言い方に変えてもいいのですが、今回は武器で行きます。
拳銃であればトリガーを引くだけで弾が出で楽に戦う事ができます。
しかし、拳銃で殴って戦うのは大変です。
敵に必要以上に近づかないと殴れませんし、、、、反対にやられる可能性大です。
手りゅう弾・・・
拳銃のように引き金を手元で引けば、自分が爆死します。
引き金を引いたら敵に向かって投げなければ意味がありません。
そういう風に・・・・・武器の正しい使い方を知る為には、その武器の特性、取扱い説明書を読む必要があるのです。
フムフム( ..)φメモメモ、これは引いたら投げるのか・・・・と。
それと自分が楽にリラックスして生きる為に使うエネルギーの選定も大事です。
どのタイプのエネルギーの放出をセーブするのか、どのエネルギーをメインに使うのかを間違えると、苦悩を作り上げてしまいます。
相手が戦闘機に乗って爆弾を落としてきているのにですね、地上で竹槍を持って戦おうとしても勝負は目に見えています。
まして人が往々にしてやりがちなのが・・・・
問題の根本である武器の選定を間違えていると言う事には気づかず、自分の持っている武器にこだわり過ぎて、この武器で間違いがない!と思い込んでいる。
そしてその武器である竹槍の先の尖り具合を吟味すると言う、可笑しな事をしている人をよく見かけます。
この竹槍の先のとんがり具合、すごいんだぜぇ~(; ・`д・´)って(笑)
戦闘機と戦う為に竹槍の先っぽを鋭くする事にエネルギーを費やしている・・・・エネルギーを向ける場所が違うじゃん!!と言う事です。
なんとなく、、、、自分で書いていて耳が痛いのですが・・・・(焦)(^_^;)
どんなに竹槍の先っぽを尖らしても、戦闘機には勝てるわけがありません。
竹槍を捨てて、自分も戦闘機に乗る必要があるのです。
私達はどんなものも初めから持っているはずです。
この世界は自分が作っているわけですからね・・・・・なんでもできるのです。
戦闘機にだって乗れるはずです。
乗れないのは自分の心が制限をかけてしまっているからです。
自分の持っている武器を知り、どれを使うのか?これでOKなのか?OKならばどういう風に使えばいいのか???
そういう事を知る為・・・・知ると言うか、思い出す作業が自分の内面を見つめると言う行為になるのだと私は思うのです。
自分の内側を見ていれば、外側がわかります。
外側がわかれば安心して暮らしていけます。
分からないから不安になるのです。
そうすれば、生きるのが少しは楽になるのです。
出家しなくても、インドに行かなくても、、、苦行をしなくても、、、、精神世界を知らなくても、哲学、心理学を知らなくても。。。
内面の旅を素人でもできるのがヨガ(呼吸法・瞑想・体位法)と言うツールなのだと思います。
不純な動機で初めてヨガですけど(笑)
私にとって最高のツールになりました。
ヨガ中毒になっているかもしれませんが、気持ちのいい心、気持ちのいいカラダを目指して私はこれまらもヨガ道まっしぐらです。
死ぬ時が一番、気持ちの良い体と心で死んで行けるように、今と言う時間をしっかりと生活していきたいと思っているのです。