今年の春からずっと右首から右腕の痛みとシビレでとっても不自由な毎日を過ごしておりました。
ピーク時は痛みで夜も眠れなくて、痛みを我慢しすぎてか。。。。。心臓にも負担をかけていたようで、動悸・不整脈も度々現れるようになって夜間一度だけ救急病院に駆け込んだ事もあった。
最近まで一進一退で、痛みが緩和するような兆しもなく、このまま永遠に痛みと付き合うのか??と言う恐怖におののきながらも、毎日の地道な心身のケアを怠らず過ごしてきた。
で、この一週間でやっと抜けたようだ。
まぁ油断は禁物ですが、もう大丈夫だと身体は言っている。
半年弱・・・長かった~辛かった~苦しかった~(笑)
まずPCが辛かった。
もう5分と打っていられないわけです。
首の付け根から手首まで神経の通り道に激痛が走る。
でも仕事上、パソコンに触らずには前に進まないから、なんとか精神と身体を乖離させてつつ、無理しない程度で仕事をし続けた。
かなりPCを使うのをゼーブした。
ちろんブログの更新も滞り気味でした・・・(^.^)
痛みで身の置き所がなくなり、居たたまれない・・・・・
電車に乗っていても痛くて息が苦しくなる。
まぁそんな感じで普通っぽい暮らしをしているフリをしていましたが内実は結構、過激に過ごしていたわけです(笑)
私は基本、痛み止めは使わない。と、、、言うか使わない方針を一つの指針としてもっている。
なぜなら、痛みはカラダくんのおしゃべりだと思っているので、痛みが来たらカラダくんが何か喋っていると捉えるます。
そう・・・・何かを一生懸命に私に訴えかけていると・・・・。
それを聞かなくちゃ~と思っちゃう。
鎮痛剤を打ったり飲んだりするのは・・・・そのカラダくんが話をしょうとしているのに
「黙れ!!」
と口にテープを貼って喋べらさないようにしているようなものだと・・・・
まだ言葉が喋れない乳幼児は泣いてお母さんに訴える。
眠い~
お腹すいた~
オシメが気持ち悪い~
と・・・・何かあるから泣いている。
その子供が訴える何かを、わかろうとせず、「うるさい!」と子供に睡眠薬を飲ませて無理矢理、寝かせる行為と、鎮痛剤を飲む行為は同じだと私は思ってしまうのです。
以前の私は鎮痛剤依存でしたから・・・・長年カラダくんの声を無視してきたわけです。
それに報いる為にも、とにかく一生懸命にこちらとしてもカラダくんのお話を聞く姿勢として、痛み止めを使わずに、その痛みを受け止め、カラダくんが何を言いたいのかを聞こうと思っているのです。
まぁただ無理はしません。
アカン時はアカンですからね、そういう時はさっさと飲みます。
ゴメン!!今回は君の訴えは激し過ぎて受け止めきれません。
耳に栓をさせてもらいます・・・・
と言って鎮痛剤を飲む事もあります。
今年に入って2回、そういう事がありました。
私は何度もこのブログで書いていますが、初期は「セデス中毒」で病院を辞めてからは簡単に薬局で手に入るバッファリン中毒に移行しました。
様々な鎮痛剤を飲みましたが、やはり一番、スキッとやる気にさせてくれるのが「セデス顆粒」、その次は「バッファリン」です。
私は覚せい剤の経験はないですが(当たり前ですよね(^_^;))、シャブってこんな感じなのかも??と思ってしまうほどに鎮痛剤は覚醒作用があります。
頭痛が無くなる事はもちろんですが、頭のモヤがスキッと晴れますからね・・・・
そりゃ~ジャンキーにもなるでしょうよ。
まぁそんなこんなで私は筋金入りの薬物中毒でした。
で、薬から離脱する事を決心して、それから鎮痛剤を飲んだ時に必ずメモをするようにしたのです。
断薬というのは基本、突然に止めるのはよくありません。
徐々に徐々にです。
少しづつ止めていかないと必ず何かの禁断症状が出るからです。
特に精神科系の薬は徐々に減らしていくという減薬方法がベーシックな方法のようです。
鎮痛剤も同じで神経回路の遮断を頻回にやっているのですから、突然に回路が常時つながった状態になってしまえば、自律神経や脳神経は混乱してしまい、情報過多でパニックになります。
なので徐々にが基本。
その為にも記録をするという事でどれくらいの頻度で飲んでいるのかを把握する事がまず重要。
自分の今の状態を知る為にも記録が大事なのです。
どういう状態をどれだけ我慢して、どのタイミングで鎮痛剤を飲んだかを記録する。
そして傾向を見て、頭痛が起こらないような生活スタイルに少しづつ変化させていくわけです。
意識ももちろん変える必要がありますからね、ある意味、精神修行です。
どんな病気でも、その人の性格や資質みたいなものが影響していますから、自分の意識の傾向を紐解いていく地道な作業と身体改造をしていくのです。
で、薬物から離脱したのですが、その時のクセが今でもついていて、必ず飲んだらメモをしてしまうのですね。
また余談が長くなってしまいましたが、、、
薬がダメだと言っているわけではありません。
西洋医学を否定しているわけでもありません。
要するに安易に薬に頼らない事、安易に医者を頼らない事が大切だと言う事です。
簡単に医者に行き、簡単に薬を飲む。。。。前に、まず自分の状態をしっかりと観察する。
ここからが始まりだと私は思うのです。
それから病院に行っても遅くありません。
もちろん死にかけたら病院に行く事はあたりまえです。
そのために信頼できる医療機関を見つけておく事も大事。
救急医療も必要なものであると私は思っています。
しかし安易に病院に行く事は反対にイノチを縮めたり、病気になったりする要因になりますし、医療従事者の疲弊を招きます。
そして様々な薬物依存も、国民の医療依存が招いた事だと思うのです。
自分のイノチ、人任せでよいのでしょうか?
自分のイノチに責任を持つ。。。という事は自分が今、どんな状態なのかを知る事が大事なような気がします。
自分のカラダの事を考える事です。
考える事を放棄したら、、、、それはもう奴隷でしかありません。
心の事も同じです。
自分の事がキライだと言う人は多いでしょう。
だから自分を見たくない・・・自分の事なんて考えたくない。
そういう事って多々あるようなケースだと思うのです。
でも自分の事を好きになる必要がまずあるのか???そこからです。
好きでないとアカンという思い込みが考える事を放棄してしまう原因になっているような気がします。
不健康でも、自分の事がキライでもええんですよ。
要はちゃんと自分で考える。
自分自身の事です。
自分が今、どうなっているのか・・・どういう感じなのか・・・・どうな雰囲気なのか・・・・どうしたいのか??
それぐらいは把握してから身の振り方を決めても遅くないのではないかと・・・・と思うのです。
健康も幸せも自分の心の中にあると言う事だと私は思うのです。