最近、どうも体調が低迷気味。
右側の腕・肩・背中の神経が痛い・・・
神の経(みち)が痛い・・・・・
なんかアカンのだろうな~
なんかやっちゃってるんだろうな~
まぁその話しはさておいて・・・
立花隆さんの「がん生と死の謎に挑む」72p~からの転載です。
以下転載・・・・
効かないと知りながら平気で抗癌剤を使う癌の名医達
僕自身(立花隆)ががんになって癌関係のシンポジウムに招かれたときのことです。
それは朝日新聞の主催で開かれた、一般市民向けの大きなシンポジウムだった。
僕以外の演者はすべて、大学や大学病院のそうそうたる名医ばかりが集まっていた。
昼休みだったとき。
控え室でみなが雑談的にいろんな話をしていた。
いつの間にか話題が抗癌剤の事になっていた。
抗癌剤がどれほど効かないかの話を一人がしだすと、皆が具体的な抗癌剤の名前をあげて、次から次にそれがどれほど効かないかを争うかのように、話始めました。
「結局、抗癌剤で治る癌なんて、実際にはありゃせんのですよ」と議論をまとめるように大御所の先生が言い出すと、皆そのとおりだという表情でうなずきました。
僕はそれまで効く抗癌剤が少しでもあるのではと思っていましたが。
それじゃ「患者よがんと闘うな」の著者の近藤誠さんの言っていたことが正しかったと言う事になるじゃありませんか?と問うと、
大御所の先生はあっさりと
「そうですよ、そんなことみんな知ってますよ」
と言いました。
私(立花隆)が近藤理論が基本的に正しいのだと、認識が大きく変わったのは、あの瞬間でした。
-----------以下転載終わり
誤解されるのをわかって書きますが、私はガンという病気って、とっても良い病気だと基本は思っています。
病気に良いも悪いもありませんけど、、、、
でもあえて言うなら、どうせ何かの病気になって死ぬならば、ガンはラッキーな病気なんじゃ~ないのかな~と言う事です。
ただ痛いのは嫌なので、ちゃんと疼痛のコントロールをしてQOLを低下させない事が前提ですが・・・・
ガンと宣告されたら、誰しもが「死」を意識します。
意識したら、それなりにもがきながらも準備しますよね。
旅立つ用意ができるのです。
愛する家族、仲間達に最後のお別れもできます・・・・・・・
遣り残した事ができる可能性だってあるわけです。
人間は生まれてきたら誰しもが必ず死にます。
死亡率100%の世界で私達は生きているわけですから、死ぬ事は悪い出来事ではないのです。
誰しもが経験する当たり前の事です。
それを忌み嫌うものとして捉えるからおかしくなる。
ガンと言う病気は死までの猶予をいただけるのですから・・・・
前もって期限を教えてもらえる・・・・なんだか神様からのギフトのような気が私はします。
突然に逝ってしまって、こちらに残された者も、逝った者も心残りがあり、エネルギーを昇華しきれず残存してしまうよか、よほど良いのではないでしょうか?
お金儲けのダシに使われて、病院のベットに縛り付けられて死んでいく選択もあるでしょうが・・・・
神様から頂いた死までの猶予を大事に使う事にエネルギーをシフトさせた方がいいと・・・・・私は改め思った次第です。
その立場になればもちろん悩むでしょう。
しかし・・・・こういう知識を持っていれば悩む時間も少なくてすむかもしれません。
ちゃっと自分で考えるクセをつける事が大事です。
誰が悪いという次元での話しではなく・・・・
誰が被害者だという話でもなく・・・・・
24時間、身を粉にして働いている医療従者の方達は本当に大変だと思います。
イザと言う時には心強い場所でもあります。
病院が悪いわけではありません。
こうい現実があると言うことを理解し、自分が何を選択するのかを明確にしていく事が大事なんだと思うのです。
自分の心が気持ちよいと思う方向・・・・・快楽ではありません(笑)
良心、道徳心にそった心地よさです。
これがわかるには・・・・やはり訓練です。
特別な訓練ではありません。毎日の生活の中でできる事。
物事を
「ちゃんと見て」→
「しっかり感じて」→
「その上で考える」→
「で、物理的にカラダを使って行動する」
この反復運動で心と脳を筋トレしていけば、目の前の視界が開けて、自分の生きている世界が見えてきます。
そしてありがたい・・・自然にそう思えるような世界が目の前に現れてくる・・・・・と、私は今、そんな気がしているのです・・・・