このブログに訪問するきっかけの検索ワードで一番多いのは「池田晶子さん」なのですが、その次に多いのが「唇剥き」か「指の皮剥き」。
そっか~ (・∀・)
私と同じような人が結構いるんだと妙に安心する私。
でも・・・・ね、検索までするのだからきっと悩んでいるのでしょう。
心理学的に言うと「唇の皮剥き」「指の皮剥き」「爪噛み」「頭髪抜き」は全部、自傷行為と言う言葉に分類されてしまう。
自傷行為と言うと大げさで怖いイメージがわき出てきますが、私は剥きたきゃ~剥きゃ~いいさ程度に今は思っています。
そう気の済むまで。
皮剥きも毛抜きも
なんちゃ~ない ┐( ̄ヘ ̄)┌
まぁ毛抜きは禿になると恥ずかしいので止めた方がいいと思うのですがね(*^-^)b
でも極端な話し、抜ける髪が無くなるまで抜けば後は抜かなくなる。
剥く皮も無くなるくらいに剥いてから、どうするか考えればいい・・・・・
基本はそんな事で思い悩む必要はない。
以前にも詳しく書いたので今回は書きませんが、、、、私は親指の皮と唇の皮を幼少の頃から剥いてきた。
いつも親指の第一関節あたりまで真っ赤で。。。時には出血するほど剥いていた。
唇の皮もしかりです。
剥くと痛いのですが、剥く時は無意識で手がいってしまうので、気がついた時には後の祭りなわけです。(笑)
唇も赤くなっていて・・・・格好が悪いし。
思うようにメイクもできませんし・・ね。
以前、付き合っていた彼にも注意された事があった。
でも、止められなかった。
紆余曲折・・・・・気づいた事があって途端に剥かなくなった。
腑に落ちたという表現が一番ピタッと合っているように思います。
向き始めたのが恐らく10代初めだろう・・・
そして剥かなくなったのが2005年。
剥かなくなってもう10年弱だ・・・・
30年以上止めれなかったものが、自分の頭、心の中が整理された途端に止めれた。
無意識が意識に浮上して光が当たった途端にそのクセは治った。
詳しくは下記のサイトに記載してある。
なんだか昔の記事で文章がたどたどしくて少し読み返すのが恥ずかしいが、手前味噌ながら私の正直な気持ちが書かれている。
http://ameblo.jp/otori/entry-10002443917.html
最後の文章に「変化させるカギは自分の心の中の記憶倉庫にある可能性が高い。」
と、、、、、
今もそれはそう思う。
自分自身の成長を望むのなら・・・・自分の内側を見るしかない。
しかし自分で自分の内側を見るなんて事は所詮無理な話しで・・・・・
自分のフィルターで自分を見ても、それは自分の思い込みの自分であって本当の内側なんてわからない。と、私は思っている。
自分を知るには外側を見ていくしかない。
自分を取り巻く外側は正直に自分を映し出してくれている。
心の記憶倉庫はいつか現実とリンクする時がくるし、現実とつながっている。
それをタイミングよくキャッチできるか。
その為にもなんでも同じ事をやり続ける事が大切なんですよね。
前述で剥きたければ剥きばいいと、少々強引な書き方をしましたが、もちろん病的なものもありますので一概には言えない面もあります。
ただ・・・・・唇の皮を剥きながらでも、親指の皮を剥きながらでも・・・・・頭髪を抜きながらでも・・・・
少なくとも社会生活ができている分には全く心配する必要はない。
そこからリストカットなどの本格的な自傷行為に移行する事はまずないと私は思っているのです。
何か精神を患っているような状況で社会生活できていない場合は別です。
軽く自分を傷つける行為では収まらず度を越す自傷癖に移行するケースは間違いなくある。
その場合に多いのがリストカットやオーバードーズ。
これらは確実に死ねない自殺方法と言えるので・・・・・
一般的にはクライシスコールと呼ばれている。
要するには助けを求める為の手段ですね。
例えば・・・
言葉で「苦しい」と表現できず、極限の苦しみや悲しさ、孤独感にもうこれ以上耐えれない!!的な限界状況を人に行動で伝える手段です。
「私を何とかして~なぁ~」
「私のこの苦しみをわかってなぁ~」
と無理やりの実力行使に出たわけですね。
ただクライシスコールでない場合もありますから・・・・これも一概には言えません。
本当に死んでしまう場合はあるからです。
私の友人もそうでしたから。
再三リストカットをくり返し、首を切り・・・・自宅に火をつけ・・・・最後はオーバードーズで死にました。
私は本当に死ぬとは思っていなかったのですが・・・・
死ねないような軽い自傷行為を繰り返していると、何かの拍子で死ねる事もあると言うことを彼女の死に遭遇して私は思い知ったのです。
彼女が部屋で死んでいると聞いて不思議と「やっと楽になったよね・・よかったよ」と思った。
しかし本当に彼女は死ぬと思って薬を飲んだのか????と言う疑問を今でもぬぐえない。
彼女の無意識はわからないが、彼女の表面的な意識は、また目覚める事を想定して飲んだのではないかとも思ったのです。
なぜなら彼女の部屋のベランダには洗濯物が干しっぱなしだったからです。
しかし人に返すべき本や借りているお金を返す相手の名前などのはちゃんとメモに残していて、親御さんがその処理をした。
なので半々だったのかもしれません。
今となってはわかりませんが。。。。。
自傷癖全てが単なるクライシスコールと言う事でもないのです。
ただ死ぬ事は悪い出来事ではありませんから、私は死ぬ事に関しては基本はどっちでもいい。
生きていく方を選ぶ方が大変なのですから。。。。
ただ自殺はアカンです。
残された人を不幸にしますからね。。。。
自殺でも・・・・
事故死かも??という疑問を残す程度に見せかけるくらいの要領を持って死んで逝って欲しいと・・・・・
まぁそんな配慮ができるのならば自殺はしませんよね(笑)
そして最悪な方法ですが、自分の死を持って相手を攻撃する復讐死と言う場合もクライスコールの分類には入りません。
それは人間の皮を被った単なる邪鬼です。
話しはまた横道にそれてしまいました。
何が言いたいのかと言うと、皮を剥くと言う行為を自傷行為と言う言葉で一くくりにするのは少し乱暴的だと思うという事です。
先ほども書きましたが自傷行為には程度の差あるからです。
皮剥きと同じようなカラダを傷つける表面的な自傷行為でも釘、カッターなどの物で皮膚を傷つけたり、壁に頭を打つ、自分で自分を血が出るほ噛むとか・・・そうなれば病的に病んでます。
拒食、過食、性的な自罰行為もそうですよね・・・・
そういう程度の差を鑑みず、全てを自傷行為と言う言葉で片付けてしまうからみんな心配になる。
「私って病気?」と思い込んで悩む。
これら色々と怖い例題を上げましたが、これと皮を剥く、爪噛み、抜毛とは一線を引いて捉えた方がいいと私は思うのです。
まぁ私は専門家ではありませんので、、、、あくまでも自論ですからご了承くださいね。
ただ長年、皮を剥き続けて、それを止めたくて止めたくて悩みながら試行錯誤し続けてきた体験から出た考え方です。
無意識で皮を剥く行為は自傷ではなく・・・ガス抜きもしくは混乱した頭を整理し集中のする為の行為であると。
何度も言うがマジの自傷行為と唇や指の皮むき、頭髪抜く、爪を噛むとでは意味合いが非常に大きく乖離する。
確かにストレスや頭の中の混乱から来る行為であるのですが、・・・・・
自傷行為は他人を巻き込み迷惑をかけてアピールする為の方法か、もしくは自罰行為ですが、皮剥き、髪抜き、爪噛みは自分の内側に集中し頭を整理するための方法論的な行為だと思うのです。
行為に使うエネルギーは、前者は外側に向かうエネルギーで、後者は内側に向かうエネルギーなので全然違う。
後者は何とかバラバラになった内側のエネルギーを一つにしたいという無意識の行為なわけです。
集中できずバラバラになっている、もしくは混乱している要因は人それぞれ様々です。
人はソレを「トラウマ」とか言う名前をつけますが、要因、原因に拘っても整理されるものではない。
一番の早道は自分以外のものにこだわる。
前述しましたが、自分がどういう人間なのかを知るのは、世界がどうなっているのかを見るのが一番早い。
世界を見る事で自分が浮き上がる。
自分の頭の中、心の中は世界見ればよくわかる。
また回りの関係性で自分を知る事もできる。
自分にこだわり、自分はなんでこんなに苦しいのかと、苦しい事、辛いことにこだわり、それを何とかしょうとするのは無駄な行為なのですね。
外側は自分ですから外側の事に集中していれば、おのずと自分に集中でき自分のやるべき事が見えてくる。
やり続けていればいつか物語、ストーリーが出来てきて、今の自分が何をやっているのかが見える。
皮を剥く
なんちゃないです。
必要があれば止めれる時期が必ずきますし、外側に集中できる何かができれば止めれるはずです。
もし止められなければ一生剥いていてもOKです。
その為に身体は新陳代謝と言う機能があるのですから(多分)(笑)
剥いても抜いてもまた生えてきますから大丈夫です。
私の知り合いに3歳から毛を抜いていて、今も抜いているヒトがいますが、彼女は今、63歳。
少し薄くなってますが、普通に毛あります(笑)大丈夫です。
元気に仕事してます。(まぁ本人は大変そうですが・・・・)
他人のツメを噛んでいるわけじゃ~ないですし、人の毛を抜いているわけでもありません。
自分の皮を剥いているだけですから、、、、問題ありません。
まぁ自分の皮を剥くのは痛いからと言って、代わりに人の皮を剥くぐらいの根性があれば、自分の皮を剥くような事にはならないですが・・・・・(笑)
基本的にはこの世界は思い通りに行かないというのが初期設定なような気がするのです。
だから私達はこの世界を楽しめる。
皮剥き、ツメ噛み、抜毛
治したいと…このクセを止めたいと言う気持ちはとってもよくわかる。
当事者でしたから。
しかし自分にこだわり過ぎてしまうのはなんだか本末転倒なような気がするのです。
それよりも目の前の事に良心に添って、奢らず謙虚に一生懸命行為する事。
面倒臭がらず外側の行為にエネルギーをどれだけ注げるか。。。
これが大事だと私は最近特に思うのです。
ヒトにもモノにもコトバにも丁寧に行為したいと・・・・
私はそれを心がけたいと思うのです。