先日、放射能から身を守るためにどうしていけばいいのか・・・と言う勉強会があった。
それぞれ個々で放射能に対しての危機意識にはかなり温度差があるな~と言うのを感じた。
気にしても仕方がないと普通に暮らしている人、できるだけ被曝しないような生活を送るように心がける人との温度格差はかなり開きがあります。
もちろん家族構成によって大きく開きがあるのでしょう。
子供がいる家であればやはり気になるところです。
1歳児を抱えている友人夫婦から聞いた話ですが、杉並区在住の子供の尿からセシウムが出たそうです。
こちらのお母さんは福島の原発事故以来、外で遊ばせていなかったようですが、それでも出たと・・・・
無意識のレベルでこのセシウムが検出された子供の現象を見るとまた違った意味が出てくるのですが・・・・今回の記事では書かない事にします。
ただもう日本中、世界中汚れていない場所はありませんので量の多い少ないはあると思いますが、もう誰から出てもおかしくない状況なんでしょうね。
なんせ遠方まで飛散しないと言われているプルトニウムまで福島原発から40kmも離れた場所から検出されましたから・・・・・。
ただ私はいたって気にせず暮らしています。
子供もいませんし、もう50に手が届く年齢ですから・・・・これだけ汚れてしまったらもう気にしても仕方がない。
神経質になってそっちにエネルギーをとられるよりは正しい生活を送っていれば大きな影響はないと思っている。
正しい生活っていうのは大それた事ではありません。
普通の事をちゃんとすると言うことです。
早く寝る
早く起きる
規則正しい生活
少食で夜遅く食べない
動く、もしくは運動する
冷たいものをとらない
体を冷やさない
怒らない
などなどありきたりの事をちゃんとする。
そして健康に気を配るならもう少し突っ込んで生活を変えてみる。
ジャンクフードを控える。
ペットボトルの飲み物をやめる。
タバコと酒も控える。
白湯を飲む。
体を積極的に温める。
消化器系を休める。(時々断食もしくは毎日半日断食)
などなど上げればきりがありませんが、「避ける」「逃げる」と言う発想よりは身体の浄化が促進されるようなことを積極的に行って行くことが放射能から身を守る事だと私は考えているのです。
ただ乳児・子供は別の考え方をした方がいいのかもしれません。
できるだけ汚れた食べ物をとらせない工夫は大事な事。
大人と違って排泄力も代謝力も違いますからね。
まぁしかし。。。。3.11から色々と考えさせられる日々が続きます。
私達一般人には想像だにできないような裏の事情みたいなものが確実にこの世界を作っている事を思い知らされました。
私達は大なり小なりマインドコントロールされている中で生きている。と、言うか生きざる追えない。
イノチについて考えるのは面倒だ。
なのでただただ無難に。。。なんとなく生きてきた度合いでマインドコントロールの度合いも決まるのでしょう。
今のような科学技術文明は生きると言う事がどういう事なのかをちゃんと考えずに多数の人が生きてきた結果の世界なんじゃろう、、、、と思う。
私もしかりです・・・・・
昭和30年代からしきりに「原発安全神話」が謳われてきました。
今考えると絶対に安全だなんて明らかにウソだと言う事がわかる。
でも、原発は安全だと言われたら、考えるのが面倒なので「安全だ」と言う事にとりあえずしておくという日本人特有の曖昧さが如実に現れた今回の原発問題なのでしょう。
少し考えれば、安全なんてウソだとわかるのですが、それさえも考えてこなかった。
まして自分の住んでいる土地に原発はないので現実感がない。
そして原発のある地域では交付金が多額に撒かれる。
この交付金があるから町や村は潤い、人口の流出がとまり存続できるわけで・・・・
原発雇用があるからその村や町に家族と共に住んでいられるわけで・・・・
そういう目先の有り難さを考えると遠い未来の事、あるかないかわからないような事故の事なんて考える事はしない。と、言うか・・・考えたくないし、「原発は安全」と言う事が正しいと思い込まされてしまう。(思い込みたい)
人間のすることに絶対などない・・・・この当たり前の事さえも考え付かない、思いつかないくらいに私達は何者かにコントロールされてしまっている。
絶対なんてない・・・・と言うことを認めてしまえば自己責任が出てくるし、覚悟もいる。
そんなリスクを背負う事はなるべき避けたいと言うのが人間の本音なのでしょう。
御上が「安全」だと言う事に従っておけば問題ないと思っている。
万が一、「安全」で、なくなったら御上を攻めればいいわけで、自分の責任にはならない。
この国がそういう多数派を占める以上、今の現実は仕方がないし、御上だけを攻め立てる事もできないのだろうとも思うわけです。
池田晶子さんの「考える日々」と言う書籍に原発の事が書かれていた。
原文をそのまま記載するが、
以前、東京に原発をもってこいという運動があったが、私はあれはその通りだと思う。あれは、だから原発は危険なのだという反対運動だったが、そうではなく、危険なのは当然なのだから、だからこそ東京にもってくる必要があるのである。危険な仕事は他人まかせにして、安穏と暮らしている東京の人々の首筋に、冷たい刃を突きつけるのだ。その暮らしは、これの上にあるのだぞ。覚悟はできているのだろうな。(『考える日々Ⅱ』「ただ生きようとした結果」より)
さすが痛いところをズバズバとついてくる。
覚悟なんてできていない。。。。。だから遠く離れた場所に建てたんだから・・・・・・・
この話は原発の事に限ってではない。
どんな話にでも当てはまる事だ。
責任を取りたくないと言う思いがマインドコントロールの力を強くするのだ。
考えたくない・・・・・
これがみんなの無意識に染み込んでいる。
さていつからなのか・・・・・・
恐らく・・・・
敗戦が大きな要因だと私は想像するのです。
敗戦で味わった敗北感。
この敗北感をちゃんと味わってこなかった日本人。
なかった事にしょう・・・・・と封印してしまった日本人。
そういう風にして私達は終戦から今まで生きてきてしまった。
あの戦争はまだ終わっていない・・・・そんな気がしてなりません。
そのツケを今、私達は払わなければいけない状況なのかもしれません。
終戦を体験していない世代が多くなってきているが、終戦を体験し敗北感を味わった人達に私達は育てられた。
私達世代は敗北感をちゃんと味わうための世代なのかもしれません。
そして今一度、やってきた事への反省をしっかりとしないといけないのでしょう。
敗北感を味わいつくし、しっかりと反省して次に移る。。。。これを端折って復興に躍起になり高度成長したとしてもまた同じような事が起こる。(起こった)
今の日本は戦争と同じレベルなのかもしれません。
私達は今、どういう姿勢で生きるのが、、、、それが問われているのだな。
しっかりと生きなければいけませんね。