毎週一回、舞踏の稽古をしているのですが、稽古に入る前に呼吸法を30分ほどしてから稽古に入ります。
と、言うか・・・呼吸しているとそのうち意識が飛んできますから、そのまま動き始めて終わりの合図まで別世界を旅しているという感じなんですが・・・
その呼吸法は30分以上、全員でウ・オ・ア・エ・イ・ンーを唱え続ける。
要するに倍音声明(オーバートーン・チャンティング)です。
この呼吸法を30分もやっていると、意識はすっ飛ぶわけです。
自分の音、仲間の音がミックスされて音を体で受け止め、感じ観る・・・・・
自分の内面に深く深く入っていくための乗り物ということですね。
人は原風景と言うものを持っている。
それを自覚するか、自覚しないかは人それぞれだけど、みんな大なり小なりあるはずなんです。(たぶん)
原風景とは、人の心の中にある原初の風景です。
その場所に戻ると懐かしくなる(落ち着く)と言う感じでしょうか・・・・
まぁ実在する風景と言うよりは心象風景である場合が多いらしいですけど。
この原風景はこの命と言うか人生の物語のスタート地点になります。
私の原風景は深い深い森の中にある沼です。
沼は高い木に囲まれています。
私は沼の中にいて、いつも空を見上げています。
上を見上げる木々の間から小さい丸い空が見えます。
木が生い茂っているので見える空は高くて小さいんです。
そう・・・私はいつも上を見上げてるんです。
透けるような青い空を見上げていると。。。時々、白い雲が通り過ぎます。
私はその沼の主のようです(笑)
・・・・・・・・・・
舞踏の稽古の時の導入はいつもそから始まる。
その沼が出てきたらもう意識はぶっ飛び状態。
あとは自動的に意識が飛ぶ場所をひたすら追っていくだけ。
そして自分の内面のエネルギーの流れにそって、そのエネルギーを身体で表現していくのです。
私の戻る場所で始まりの場所。
その風景から私は自分の物語を作っていく。
無意識と意識の境界に・・・
あっちとこっちの狭間に意識をキープする。
言葉以前の世界というのは本当に怖い。
言挙げできない存在がある。。。事挙げできない存在には破れがないので、誤魔化しがきかない・・・
それほど怖いものはない・・・ということでしょう。
でも最近怖くなくなった。
私の大事な場所である、みずちの沼(笑)
戻る場所・・・始まりの場所。
最近、自由自在に沼から出る事ができるようになった。
沼の泥がいつの間にか無くなり、きれいな水面が光っている・・・・
なんだか自分らしくないよな~なんて思いながら、少し落ち着かない・・・・が、もう重いヘドロのような沼がどうしても現れない。
淋しいようなうれしいよな(笑)
不思議なものです。
原風景自体は変わらないがその内容が変化する。
これからこの原風景がどう変化するのかなんだか楽しみです。