超~久しぶりに今日は一歩も外に出ず。。。部屋に引きこもっておりました。
引きこもると言ってもジッとしていたわけではなく・・・・・自分に向き合っておりました。
人の体というのは左右差が必ずあって、左右同じ。。。バランスが取れているというのはまずない・・・
私もそうです。身体の左右のバランスがすごく悪い。
その身体性を何とか改善しょうと必死で自分に向き合っている。
そしてどんなポーズでもとれると言う事と、カラダに柔軟性があるというのは意味が違います。
私を知っている人は、恐らく物凄く柔らかい身体を持っていると思っている。
しかしそれは少し違います。
関節が柔らかいと筋肉が硬くても結構どんなポーズでも取れるのです。
なので私の身体は関節が柔らかい為、基本的なアサナは難なくキープできる。
でもそれは柔軟性があり、筋肉が柔らかいとは言えないのです。
私の筋肉は伸びやかではない。
全身がガチガチだということではないのですが、筋肉の芯が硬い。
感情というのは内臓で感じられるモノが多く、またその中でも筋肉が意識を一番投影する代表格の臓器だと私は捉えています。
体験的にですね、筋肉が緩むとココロに変動がある。
そして軽い邪気みたいなものも変化していく。
アプローチ次第で抜けた~と感じる時もあります。
邪気により身体のエネルギーが混乱していたものが、シンプルに軽くなってくるという感じでしょうか・・
そうすると目の前に見えているモノが違ってくる。
同じ現象でも捉え方がポジティブになってくるのです。
その反対もあります。
ココロが変わると筋肉の質も変わる。
心に緊張がなくなると、筋肉もゆるむ・・・・・・
腹がたつと肝臓が硬くなるとか。。。。。心配しすぎると胃が痛くなるとかね・・・・
それほどに筋肉や内臓は意識を投影するものだと私は考えている。
筋肉の緊張が取れないということは、ココロに緊張があると私は捉えます。
以前に書いた事がありますが・・・・筋肉の縄で全身を縛っている状態。
自分の心で自分を縛り、不自由にしている事の現われだと私は自分を見てそう思うのです。
身体は精神の状態を映し出す鏡。
もちろん外側の現象もそうですが・・・・・
しかし自分の筋肉の縄がほどけた状態がどういう状態なのかがわからない。
なので目隠しをして前に進んでいる感じなんですけどね。
でも一歩一歩、足を前に運ぶしか私にはすべがない。
今、自分が出来る事をし続ける。
縄で縛られる事で快感を覚えるという嗜癖が無意識レベルであるのだろうが・・・でも心底私は思う。
それはもういらないと・・・・
縛りから外れる・・・・・
私は心底そう思っている。
間に合えばいいんだけどね(笑)
あっヽ(゚◇゚ )ノ話しが変わりますが・・・
よく、、、、「そのままでいい」とか「ありのままでいい」と言う人がいる。
(先日もそんな事を言う人に会ったところだけど)
しかし、ふと思った、それをさしている「状態」が恐らく違う。
何も問題ない人にそれを言うのはアリかもしれないが・・・・
私は違う・・・・そのままではよくない。。。。
私はそういう風に言う人を見ると・・・・「呪詛」をかけているように感じる。
人を成長をさせないように呪いをかけていると。。。
いつまでも「そのまま」の「ありのまま」の同じ場所に居させるために。
なぜそうするのかは。。。その人によって違うでしょうけどね。。。
心がひねくれている私にはそう見えてしまうのです。