昨日は中途半端でごめんなさい(。-人-。)
早起きは得意なのですが、夜はどうも遅くまで起きていられない性質で、23時を過ぎると途端に活動停止状態になります。
続きです・・・・
生きてる人間に湧いたうじ虫の話です・・・・
「聞きたかねぇです(°Д°;≡°Д°;)」と言う方と、「読んだ事あります」と言う方はスルーしてくださいね。
ここから本題です。
夏の暑いさかり、60代の男性がベロベロに酔っ払って救急に運ばれてきた・・・・・
激臭・・・・・(・_・;)
路上での寝込みを襲われた形跡。
ただ何も持っていなかったので(路上に寝てる人が、何か高価な物を持っているなんて普通思わないだろうよ・・・)、腹いせボコボコに殴られたらしい。
昨日今日の打撲ではなく、数日たっている感じである。
額と右目がパンパンに腫れて、血腫状態(よくボクサーが紫色になって目の上が腫れている様相と同じです)
まぶたが腫れて目がもう開かない。
全身打撲・・・・・にも関らず、彼はグゥーグゥー寝てるし・・・・酒臭い。
多分痛みを誤魔化すために、じゃんじゃか飲んだのであろう。
西成釜ヶ崎はお金がなくても酒が飲めるところなのだそうだ・・・・
お金がないと食事はできないけど、酒は飲めるという不思議な地域なんです。
何で飲めるの?と聞いても「くれるんや」と言うだけで、詳細は教えてくれない。。。。
いまだに謎のままなんです。
もちろん安酒で、度数は高いが質はかなり悪いので、すぐに肝臓がやられるそうだ。
で!治療開始。
腫れた目を消毒していると、ボロリと白い物体が落ちた。
床を見ると・・・・・・・・
「なんか動いているでぇ~( ̄Д ̄;) 」
そこにいたスタッフ(ドクター、ナース、事務員、救急隊員・・・・検査技師・・・ヘルパー)全員の動きが止まる。
そして水を打ったような静けさ・・・・
「・・・・・・・・・・・」
「・・・う・・・じ・・???」
私・・・・は、床にかがみ込みマジマジとその白い物体を見極める・・・・
「間違いなく・・・ウジ虫・・・っぽい・・・かも」
とピンセットでゴロゴロと白い物体を転がすとウネウネしている。
皆、10歩くらい引いて遠くにいるし・・・・
でもさすがである。
ドクターとナースだけは根っからの好奇心で皆、かがみこむ私の頭越しに覗き込んでいたのです。
床に転がっている一匹のウジ虫をピンセットでつかみ、銀色のお盆(膿盆)にポトリと入れた私。
「まだおんのとちゃう?」と私 ・・・・
「そやな~おるやろな・・・・瞼開けるの恐いな~」とドクター
私はゴム手袋をして、瞼を引き上げる・・・・・・
驚愕・・・・[●_●][●_●][●_●]
ボロボロとウジョウジョと出る出る・・・・
何かで目を殴られて、眼球が破裂した。
そこにハエが卵を産んだと推測される・・・
で、どんどん目が腫れてくるからジクジク状態がまぶたの腫れで密閉されて、ハエの卵は孵化してウジ虫となった。という所だろう。 (たぶん)
まあ原因はどうでもいいのだけど・・・よくぞここまでほっておいたものである。
ドクターが「主任さんやって・・・・(。。lll)」と私にピンセットを渡す。
「やってってなに??、ウジ虫を取れってこと??!Σ( ̄□ ̄;)Meがやるの??」
と思わず英語になった。(笑)
でもこんな作業がキライではないことを、長年一緒に仕事しているドクターは私の性分をよく知っている。
それからピンセットで一匹一匹取っていった。
結局おちょこ一杯分くらいのウジ虫を取り出した。
それからドクターにバトンタッチ。
丹念に洗浄して消毒して治療終了。もちろん入院。
しかし、入院3日目アルコールの禁断症状が出て、半狂乱で片目失明のまま勝手に出ていってしまった。
またきっと浴びるほど飲んでいることだろう・・・・片目で・・・
そして天に召される日はそんなに遠くないはずである。
極度の飲酒は緩慢なる自殺行為。
アルコールの禁断症状が出るまでは泥酔で寝てたし・・・・・
醒めたら禁断が始まり、半狂乱・・・意味不明・・・
片目がないことすら自覚していなかった。
まともに話もできなかった・・・・まぁ珍しいことではありませんけどね。
脱院した事を主治医に伝えると、「次はステって運ばれるかもな~」と・・・
※脱院・・・・脱獄の病院版
※ステって・・・・・死亡の事です
「そうやな~あのままじゃーまたわくかもな・・・・うじ・・・」
「次運ばれる時は俺がおらん時にして欲しい・・・・・」と本音を漏らしていた。
まあ海外で、内戦をしている国や貧困の国での医療活動に従事している人達は、こういう事も日常的に遭遇すると聞く・・・・・
なので珍しくもないでしょうが。。。日本ですからね。。。
それも大阪という日本を代表する都市の中心地です・・・・・
不思議な国です、、、、よね。
で、これが私は生きている人間にもウジ虫がわくと言う事をはじめて知った体験だったのです。
そしてこの人は二度と、うちの病院に運ばれてくることはありませんでした。