昨日サドゥーの話を少し書きましたが、サドゥーとは広義として「聖者」と言う意味合いがあるのですが、インドでは厳密には「修行僧」とか「苦行僧」と訳されます。
インドのサドゥーの修行方法は様々。。。ちょっと聞くと「それって何の意味があるのか??」と思うようなバカバカしいものが一杯ある・・・・・。
多分それは修行の内容ではなく、極限を超えるということでは方法はどうでもいいのでしょう。
ただサドゥーもピンキリで(それはどの世界も同じですが)
商売としてサドゥーのふりをしている者やガンジャをはじめとするドラッグを山ほど持っていたりするのは当たり前だとか・・・
植物系どころかケミカルなものまで多数横行しているらしい・・・・・
サドゥーならナチュラルでアチラに行く力を持って欲しいものですが。。。
日本で行われるような、こじゃれておっされーな修行方法ではなく・・・・例えばずっと逆立ちでいるとか、、、、前転で進み続けるとか・・・片足で立ち続けるとか・・・・・片手をずっと上に挙げたまま立っているとか・・・・・
それを考えるとヨガはかなりスタンダードな修行となるのでしょうね。
その中でも逸脱している修行が、男性器の亀頭を切ってしまうという、世にもおぞましい修行方法があるそうです。
この修行方法はサドゥーの奥義とされているため(ほんとうか?)、その奥義のため・・・・切ってしまうんだって。
どうして切るのかと言うと。。。。
亀頭を切ると包皮だけが残ります。
その残った皮を何年もかけて伸ばして鍛え上げるのだとか。
私には意味がわかりません。。。。
この包皮を伸ばして鍛え・・・伸縮性と強靭さを手に入れるらしい。
何度も言いますが・・・・(=`(∞)´=)
意味が本当にわかりませんが、意味なく素直にすごいと思えるのがすごい修行なのでしょう。
男性器で重いものを持ち上げるというような話を聞いたことがあるが、これは男性器そのものではなく、包皮で持ち上げるということなのだ。(インドのサドゥーに関しては)
鉄棒に包皮を巻きつけて持ち上げたりとか・・・・
何のために???と普通に考えれば疑問が出てくる。
しかし・・・・
そんな野暮な事は聞いてはならない・・・
サドゥーにとっての奥義だからチャレンジするのです。
登山家にどうして山に登るのかと聞くと「そこに山があるから」と答えるのと同じ。
どうして切るのか・・・「サドゥーだから・・・・」ということなのかもしれません。
しかし・・・・そんなことをするサドゥーは本当に聖者なのかという疑問は沸いてこないでもありませんが・・・・
昔、・・・そうまだ高校を卒業して見習いで入った病院。。。10代後半のうら若き乙女の頃に配属された部署が泌尿器科だった。
後にも先にも「泌尿器科」の経験はこの一度きりなのですが、これがまたショッキングーな体験でいまだに忘れられません。
その時にいた病院の泌尿器科は包茎治療が有名で、毎日のように老若問わず包茎手術が行われていた。
こんなに包茎の男性っているの?????と仰天しました。
その頃の私はまだ男性経験がありませんでしたから。。。。
なんとか懇願して半年ほどで病棟に上げてもらったけど、ほんとこの科はきつかった。。。。
いじめかと思うほどだったですよ(トホホホ(><;))
手術後、患者さんの亀頭部に包帯を巻いてたら悲しくなってきて・・・・
ただ包茎は男性にとっては切実で、笑話ではありません。
自信喪失の大きな原因になりますから。
その治療を行ない、患者さんの悩みを解決するということはすばらしいこと・・・・
一週間程度で抜糸が終わり悩みが解決した患者さんは本当にうれしそうですから。
ただ私はまだ10代ですから・・・夢を持って看護師になろうとしているんであって・・・・そのギャップにちょいっときつかったですね。
まあその話はまた今度・・・・えっ聞きたくないって。。。。そうでしょうね。。。。((^~^)笑)
話は元に・・・
奥義を目指すサドゥーはその包茎治療の真逆を行く修行僧・・・・・・・だな~と改めて感心している次第です。
死ぬまでに一回くらいはインドに行って、サドゥーに会ってみたいものです。
それもイカレたサドゥーに・・・・・・:*:・( ̄∀ ̄)・:*: