最近テレビをできるだけ見ないようにしている。
私はテレビっ子、テレビ大好き。でもちとテレビ断ちをしている。
しかしこのご時世、テレビを見なくても世間で何が起こっているのかがわかってしまう。
仕事をしている以上は切り離せないネット。
ヤフーなりMSNなり。。。。画面を立ち上げたときにトップに出てくる画面にはリアルタイムで社会で世界で何が起こっているのかが、すぐさまわかるようになっている。
情報を遮断するのは中々難しいこの時代です。山にこもるしかない。。。。
テレビを見なくなって気が付いたのだけど、テレビは人間に考えさせないようにする道具だと実感しました。
小さい頃に親に言われたことを思い出します。
テレビばかり見ていたらバカになる。
テレビを見ている時には気が付かない。
テレビを見ない生活をして初めてそれがわかると思うのです。
テレビ断ちはある意味、断食と一緒。
インプットばかりでは頭のメタポリックシンドロームで成れの果ては脳が硬くなって馬鹿になる。
情報の断食をして静かに脳を休め、頭を空っぽにして、掃除をしてみると今まで見えていなかったものが薄っすらと見えてくる。
テレビ中毒はニコチン中毒、アルコール中毒と同じ位置づけの中毒として扱ってもいいほどに、知らず知らずに冒されてしまう。
家に帰ると無意識でテレビをつける。
家に人がいる限りはテレビの音が、見ている見ていないに関わらず鳴っている。
別に見たくもない番組だけどついていると見てしまう。
そんな状態をテレビホリックというのだろう。
テレビホリックの弊害はまず、時間泥棒。
テレビを見ているとすぐに時間が経ってしまい、何もしないうちに夜が更ける。
でもね、、、どうしてホリックになるのか。。。。。わかるような気がする。
考えなくてもいいというのは楽だし、幸せのである。
いつの頃から人間は自分の頭で考えなくなった。
考える
そこから逃げた人間は一体どこへ行こうとしているのでしょうか。
私がリスペクトする故池田晶子さんは携帯電話すらもっていなかった。
もちろんパソコンもワープロもやらない。
原稿はすべて直筆だったようです。
それをおこす編集者も大変だったと思いますが、中々そこまで徹底するのは難しい。
天気予報だけは見ていたらしい。愛犬の散歩のために。
彼女の楽しみはただただひたすら考えることと、愛犬の散歩。
でも最近知ったのだけど、彼女は結婚していた。
ちょっとびっくりしたと同時にだまされたという気持ちになった。
私の勝手ですけどね(笑)
あれだけ人に厳しく・・・・そして犬に優しい女は絶対に独身だと、私は勝手に思い込んでいた。
あの文章から池田晶子さんと結婚を結びつけることは到底できないからである。
彼女の本はたくさん読んだが一度たりとも夫が出てきたことがない(私が見落としていただけかもしれませんけど)愛犬のことはよく出てきたが。。。
彼女は言う。
考えること以外は重要でないと、
何で世界であるか、何で私であるか、何で宇宙があるか。。。
ほとんど常にそればかり考えている。これまでもそうだし、これからもそうである。
それ以外のことが、この人生、この自分にとって、重大であるはずがないと思っている。
したがって私は、それを考える以外のほとんどの事ができない。
それを考える以外のことは重大ではないと思っているので、感心がなく、する気が起きない。
そんなことはどうでもいいと思う・・・・・・云々
ここまで痛烈に書いている人が他人と婚姻関係を結んでいた事が信じられないのである。
昔、モデルをやっていた時期もあるほどキレイな顔立ちをしている。
才色兼備を地でいく人だからもてただろうが。。。。。でも、どうも結婚とは結びつかなかったです。
ごめんなさいね勝手な思い込みで。
池田晶子さんの旦那さんって一体どんな器の方なのだろうと想像する。
私は池田晶子さんよりも、そちらの方がどうも気になって仕方がない。
彼女は1992年ごろに結婚しているが、旦那さんは一人息子だったそうだ。
しかし彼女は夫とその両親に子供は絶対に産みたくないと言ったそうだ。
それでもよければ。。。。ということなのだろう。
跡継ぎの途絶えるその家族は、そんな池田晶子さんの言葉にかなりびっくりしたらしい。。。。。
まあそれでも彼女と一緒になりたいと思ったのか・・・・・そのうち気が変わるかも。。。なんて甘く考えたのか、それはわからないが・・・・
まあ私には池田晶子さんのようにストィックにものを考えるような苦しいことはできない。
哲学というものは苦しい。
だって答えがないものを考えるのだから。
だから面白いということなのだろうが。。。。
でもどうしても情緒的志向が強すぎる傾向にある私には無理。
どの書籍だったか忘れたが、ガンが発覚したときに「しめた!」と思ったと書いてあった。
多分この世から開放されることに喜んだのでしょう。
私もこのあたりはよく理解できます。
死ぬこと自体は怖くない、どちらかというと楽しみ。
しかし親しい人との別れはやはり辛いし、何よりも死ぬまでが怖い。
痛かったり苦しかったしたらやだし。。。そんな人間が哲学をやる資格はないでしょう。
池田さんの死に際は相当に腹が据わっていた。 (らしい)
彼女が一貫して言い続けたとおりに死んでいった。
死に際に、自分が死に対してどのような態度を取るのか。
彼女の死にっぷりは徹底していたようだ。
私はきっとネチネチクネクネあまねき、死ぬということにどっぷりと浸かって死んでいくことと思う。
私は達観するという志向を持ち合わせていない。
いつもそのものになってしまう。
だから反対側にいる池田晶子さんをリスペクトしてしまうかもしれませんね。
正しいことは正しくなくて、
生きることは死ぬことで、
始まることは終わることで、
ないものはあって、あるものはない。
こういう風には考えることはできない・・・・
考えることをやめたダメな人間と言われるかもしれませんが、
テレビをやめて・・・・・ちょっとは考えるようになったかな。
情報の断食。。。。。一度はトライしてみると面白いですよ。