私はキリスト教の信者ではないし、
キリスト教自体に?ギモンを持っている

でもとってもココロに響いた詩と
出会った


この詩は恐らく、神父さんが病気の方に
向けて祈った言葉だと思います


ここで言う神は、キリストという
一神ではなく、八百万の神であり、自分自身の
神聖でもあると思います



ー祈りの詩ー


大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった



偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った



幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった



世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった



求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた


神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた


私は 最も豊かに祝福されたのだ


(NY大学リハビリテーション研究所の壁にある祈りの詩)




そもそも願いとは一体なんなんでしょう。


意識の願いと無意識の願いは相反するものがある(と感じる)
本当に意図しているもの
それは今の目の前にあるもの


だから今
目の前にあるものは
完全なお計らい


昔、幸せになりたいと言ったら
怒られたことがあります


今、どうして怒られたのか
分かるような気がします


祈りとは一体なんなのでしょう・・・


真実を知るということは、色々な
ものをあきらめる覚悟が必要です


この世の中の事、自分の事・・・・


そんなこと
こんなこと

人間が意識で知ることはたかが知れている・・・・
日々私は生きてていてそう思うのです


私は
謙虚でありたいと思います
ちょっと寒いですけど・・・本当にそう思います