片岡義男は「言葉を思考する人」だ。もちろん、言葉のプロである小説家なら、言葉について真剣に考えていてなんら不思議なことはないが、片岡義男の場合、その深度がすごい。自分自身に言葉を引きつけ、ここしかないという位置に置く。それは、「言葉はどうしたら生きるのか」という著者にとって切実な問題だ。本書の主題は日本語と英語の比較だ。しかし、いわゆる語学本ではない。かつてより著者は、気になった英語のひと言をインデックス・カードに書き留めてきた。英語の勉強のためではなく、「ふと気持ちをとらえた」からだ。そして個々のカードには彼自身で翻訳した日本語が添えてある。

周知のように英語と日本語は違う。違いすぎるほどに違う。しかし、それはどのように違うのか。「英語とは英語らしさのことだ」と片岡義男はいう。

「『らしさ』とは、その言葉の構造とその使いかたによって、そこに託される意味のぜんたいだ。それは世界のとらえかただ。他者への働きかけかただ。そして他者へと働きかければ、それはほぼそのまま自分に返ってくる。自分と他者との、言葉の上における、どうしようもないまでの対等な互換性だ」

英語の得意技は、「動詞表現と名詞表現を巧みに使い分けながら、あるときひょいと、なんの苦労もなしに、言っていることの抽象度を高めることが可能であること」。一方、日本語の得意技は、「話者のひとりひとりが持つ状況の具体性に密着したものの言い方であり、これと表裏一体に存在するさらにもうひとつの得意技は、すでにそうなってそこにある状態が、まるで世界の本質でもあるかのように、しかも少ない言葉数で完璧に表現すること」

すべてがIとyouの関係から構成される英語に対して、漠然とした全体からなる日本語。それぞれは「個人」ではなく、あくまで「群れ」のなかのひとりでしかないという、日本人の特質が透けて見えてくるようだ。

たしか、開高健が著書「ずばり東京」で、空から東京を見ると中心に皇居という穴がポッカリ空いているというようなことを書いていたが、日本語の「漠然とした全体」とは、つまりそういうことではないか。

日本語と英語、どちらに寄りすぎることなく、それぞれの特質を、記憶の糸をほどくように解明していく。言葉は常に変化するものであることを考えると、それは現在進行形なアクションといえる。つまりハードボイルドだ――強面のプロフィール写真はそのためなのだろう。

「Go ahead.という汎用性の高いひと言の素晴らしさについて僕は思う。前方に向けて限りなく存在する広がりであるaheadに、goという基本中の基本のような動詞が結びつき、きわめて気楽なスタートの合図として機能している。Go ahead.のあとにMake my day. が加わると、それは『ダーティ・ハリー』の台詞であり、かつては日本でもかなりのところまでそれは浸透した」

日本語と英語―その違いを楽しむ (NHK出版新書 391)/NHK出版

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