先生は何度も何度も
そうやって
僕に大切なことを教えてくださった。

「私は大切なことを何度も何度も言うわよ。

進ちゃんが忘れないように。

うん、そうね。
仮に忘れても
思い出せるように

仮に記憶の世界から消えたとしても


何かのきっかけで

命の奥底から
湧き上がって
思い出せるように。

大切なことは
何度も何度も
伝えておきたいの。」


そうおっしゃることが常だった。


僕自身が
子供のころは
子供に分かりやすく

 

 


青春期
青年期は
その時の僕に
分かりやすく。

そして
時が経てば経つほど
それらが繋がって
一つのメソッドとして
確率できるように。

 

 

そうやって
感性の教育
人間教育の道場で
僕を慈しみ
育んでくださったと言ってよい。


人間教育の道場に
障害の有無など関係ない
 

先生は終始一貫
その態度で
僕に接してくださった。

 

同時に
全く目が見えない
 

僕自身の今世での姿。

 

障害そのものも
 

肯定し
それさえも
感性を育むレンズとなるように
鏡となるように
音と言葉と空気を使って
音楽とは
あり方とは
生き方とは

それを打ち込んでくださったとも言える。


現愛の眼差しで
僕を見つめ
育てて下さったということになる。


先生は真剣だった。
もちろん僕も
音のお絵かきができるようになりたくて
一生懸命だった。

最近おきた事柄も直ぐに忘れてしまうような
頭の悪い僕が

先生から受けた教育のことだけは


忘れない。

それはなぜか。

結論は一つ。




先生のおかげだと自覚している。