公園のベンチで
僕は友達から肩を叩かれて

ふと我に返った。


「むむちゃん、そろそろ帰る?
もう
けっこう時間が経ったよ。

どうする?
もうちょっと居る?」

「いや、もう帰ろうかな。
長時間になっちゃったね。
ありがとう。

コーヒーとケーキ
御馳走するよ。」

友達は
「え?」という表情をした。人の表情というのは
にくがんで確認できずとも
空気が変わることによって
おおまかなことは理解できるものだ。

「むむちゃんは
ピアノの先生のことを語る時
生き生きしてるね。
子供っぽい。
羨ましいな。
ま、いつも子供だけどね。」






先生が教えて下さった
「音のお絵かき」という世界は

今風に言えば音楽教育という手段を取りながら
僕使用にカスタマイズされた
「人間教育プログラム」だった。

感性を育む
大事な大事な
宝物の時間だった。

独特の教育だったと思う。


これこそが
全ての価値観の中で
正しいものという意味ではないけれど、

僕にとっては
とても
広くて
深くて
楽しい
人間教育プログラムだった。

今振り返ってみても
色あせることなく
僕の人生を映し出す
最高の鏡とも捉えることができる。
僕のありようを映し出す
スクリーンとも感じる。


実際先生は
ピアニストとしても教育者としても
一流だった。
プロだった。

そのハートと魂を
惜しげもなく
僕の教育に使って下さったとも言えるだろう。


峻厳であり
深淵でありながら

日常生活の中で
如何様にも展開できる
音のお絵かきメソッドが
具体的にどのようなものであったのか。

これから
より
具体的に書いていくことになる。

思い出の一コマ一コマ。
それでありながら
新鮮な気づきの時間。

こつこつブログを書きながら
僕は
この
意味のある時間を楽しみたい。
 

 


次章に続く。