「進ちゃん、今日のレッスンはこれで終わりです。」

先生はそうおっしゃってから
「お家にお電話するから、おばあさまかお母様にお迎えにきてもらおうね。」

程なくして母が迎えに来た。


すると先生は

「これからレッスンの時、お帰りの時は
私が進ちゃんをお家までお連れします。

お家が近いから大丈夫。

私と進ちゃんとお散歩しながら帰りますから、そうしてください。」

母は恐縮して
「先生、それはとてもありがたいことですが、申し訳ないことです。」と
常識としては当然のことを言った。
ところが先生はそれを遮って

「進ちゃん、それでいいわね?さっき先生とお約束したよね?」


「うん。」

僕はそう言うしかなかった。

「では次回からそのようにお願いします。」



先生がこの時おっしゃったお散歩。

それが
どれだけ深い
意味のあることだったのか。

この時の僕には全くわからなかった。
そのお散歩こそ

音のお絵かきメソッドの根幹であり、今風に言えば

第3傾聴や
マインドフルネス瞑想など

現代の心理学にも共通する
脳科学的ワークと
渾然一体となった音楽教育であったことなど
当時の僕には知る由もなかったのだ。


もっと深い自覚として言えば

自分の中の宇宙と
自分の外の宇宙とが
本源的宇宙意識の中に溶け合って
一つになって
共鳴の旋律を生み出すに等しいワークであったことなど

子供時代の僕には
その根幹などわからないことだったということになる。


師匠というものは

恩としても
音としても

その存在は
山よりも高く
海よりも深い。

その師匠と
生死を超えて語り合いながら
ピアノを弾く音のお絵かきの世界。

なんと幸せなことだろうか。

僕にとってこの時間は
全く目が見えないことなど忘れてしまうぐらい

自由自在の時間そのものなのだ。