「それじゃ先生進ちゃんに宿題出します。

宿題好きかしら?」

「ううん、大嫌い。」

「あら、嫌いなの?

でも
この宿題は楽しい宿題です。

お家に帰ったら
お母様にお願いして
コップにお水を入れて
その中に氷を入れてもらって。
その時に氷の音が
ドレミファソラシド
どれか

ちゃんと聴いて
先生に教えてちょうだい。

どう
この宿題なら
できる?」

「うん、できる。」


「これから先生宿題いっぱい出すけれど
ちゃんとやっていらっしゃい。

そしたら
楽しいことがいっぱいあるから。」

先生は
いわゆる
スパルタ教育ではなかった。

どんな時も常に
優しさを持っていた。

優しいがゆえに
怖さもあった。

同時に
その宿題というものが

今にして思えば
ありがたくも
厳しい宿題だったということになる。

でも僕はこの時

子供の時

それを厳しいとは全く思っていなかったのだ。

先生はいつも楽しく
音楽を教えてくださったし

僕自身は
なによりも
音のお絵かきというものを
できるようになりたくて

小さい子供は
子供なりに
命がけだったと思う。

そして
先生も
ある意味

命がけだった。

先生も
生徒も命がけだったからこそ

僕自身
他のことは忘れても

先生とのレッスンを生涯
忘れないものとして
結実したとも解釈できる。

これもまた
峻厳な
師弟の形だとも言えるだろう。

先生はそうやって
音のお絵かきメソッドを
僕が生きていくための
羅針盤として確立して
教えてくださったとも思える。

音のお絵かきは
実は
先生の
慈愛の結晶だったのではないかとさえ思える。