僕の名前は
村口進
名字の最初と
名前の最後の文字を繋げて
むむ
と呼ばれることが多い。
「むむちゃん」とか。
「むらちゃん」と呼ばれることが多いかな。
「しんさん」と呼ばれることもある。
暴れん坊将軍の
風来坊みたいだね。。☺️
おかげさまで
毎日
元気に生きている。
楽しく生きている。
有意義に生かされている。
そんな僕だけど
生まれた時は体重
1300グラム。
未熟児として誕生した。
7ヶ月で生まれたわけだ。
昭和41年
11月1日。
その当時の未熟児としては
1000グラムというのは
かなり厳しい状況だったようで
医者からは
「1週間生きるのがやっとでしょう。
お葬式を出す時に名前がないといけない。
名前だけはつけてあげてください。」と言われていたと
祖母から聞いている。
今
僕が
未熟児で生まれたと言っても
それを誰も信じてくれない。
「少しお痩せになった方が良い」と言われるだけ。
でも、それはとても幸せなことだと思う。
奇跡的に命は助かり
お葬式を出さずに済んだわけだが、
この時
保育器の中の酸素の問題で
網膜をやられて
僕は失明した。
未熟児網膜症。
医療事故だ。
その後のことは
後日詳しく書くことになるだろうけれど
僕が米谷先生と最初にお会いしたのは
7歳のころ。
小学校1年生の夏。
盲学校小学部1年生の夏の日のことだった。