私はお寺で生まれて今も実家のお寺の敷地内でピアノのレッスンをしています。
父は住職でした(今は引退して主人が住職です)
私が中学生くらいの頃、ピアノのレッスンに行くためにレッスン料を父からもらいました。
その時の父の言葉がこちら。
「ピアノの先生はいいねえ。椅子に座って、明子ちゃんにピアノを弾いてもらって、あーだこーだと文句言うだけでお金がもらえるんだから」
「・・・・・・・・」
何言ってんだ先生がレッスンするためにどれだけの知識と経験を総動員して下準備して教えてくれてると思ってんだ。
楽だと思うならやってみろや。
とは言わず、黙ってレッスンに行きました。
そしてレッスンに行くと今度は恩師から言われた言葉がこちら。
「あんたのお父さんはええのう。ちょっとお経読んで、ポクポクやるだけで、これだけお金がもらえるんやからのう」
「・・・・・・・・」
何言ってんだお父さんがどれだけ年月をかけて修行して勉強して仕事に行くための準備をして法事やってると思ってんだ。
楽だと思うならやってみろや。
などと口が裂けても言えず、ただただ苦笑いしてレッスンを受けました。
大人になって、ピアノの先生になって、お寺の奥さんになって、今なら「どっちもどっちやわ」と分かります(笑)
つまり、はたから見ているとどちらも、そんなもんなのです。
そして、そのような一歩離れたところから見ている人に対しても、謙虚さや感謝を忘れないことで、色々なことが円滑に運び、結局当事者たる私たちに良い影響があると思っています。
以上、私の昔話でした♪