姜信子さま

 

 ぼくが人前で歌うようになったきっかけは、アメリカのフォーク・ソングに夢中になり、その影響を受けたからです。1960年代前半から中頃にかけてのことで、ぼくはまだ中学生でした。アメリカでは1950年代の後半から古いフォーク・ソングを新たな解釈と感覚とで歌い直すモダン・フォーク・リバイバルという現象が起こっていました。そのリバイバルの動きの中で人気があったのが、キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリーといったモダン・フォーク・コーラス・グループで、1960年代の前半から中頃、彼らが歌うフォーク・ソングが日本にも伝わってきました。そんな彼らの歌を聞いて、中学生のぼくはアメリカのフォーク・ソング、モダン・フォーク・コーラス・グループの虜になってしまったのです。

 そうしたグループは古くから伝わる伝統的な歌、すなわち民謡と呼ばれているものを数多く取り上げ、それをモダンにアレンジして歌っていました。しかし彼らの歌に親しむうち、それだけではないことにぼくは気づきました。フォーク・ソングとは昔から伝わる民謡のことだけを意味するのではなく、そこには新しく作られた歌、新しく作られ続けている歌も含まれていました。1930年代から活動するウディ・ガスリー、その後輩で1940年代から活動するピート・シーガー、はたまたボブ・ディラン、トム・パクストン、フィル・オクス、エリック・アンダースンといった1960年代の同時代のフォーク・シンガーたちが作って歌っている歌で、まさにそれらの新しい歌、コンテンポラリーなフォーク・ソングこそが1950年代後半から60年代初めにかけてアメリカで沸き起こり、世界中に広がっていったモダン・フォーク・リバイバルの中心にあったのです。フォーク・ソングとは昔から伝わる民謡だけではなく、同じ時代を共に生きる人々の新しい歌、民衆の歌でもあったのです。

 

 そしてこの1950年代後半から60年代前半のモダン・フォーク・リバイバルの大きな特徴として、シング・アロング、シング・アウトということがありました。みんながよく知っている歌を、あるいは知らない歌でも歌い手から歌唱指導を受けて、コンサートやフォーク・ソングの集いに参加した人たちみんなが声を合わせ、大きな声を出して、心をひとつにして歌うのです。みんなが一緒に大声で歌うフォーク・ソングの集まりは、フーテナニーと呼ばれることもありました。hootenanny、英語の辞書では「(ダンスやフォーク・ソングなどの)形式ばらない集い(パーティー)」と説明されています。

 1960年代初め、日本に伝わり広がっていったフォーク・ソングの動きの中でも、アメリカのモダン・フォーク・リバイバルに欠かせなかったこのシング・アロングやシング・アウトが必須のものとなりました。コンサートなどでみんなが声を合わせて歌うのです。最初はアメリカのモダン・フォーク・リバイバルの中でシング・アロングされている歌をそっくりそのまま真似をして、英語のまま声を合わせて歌っていました。そのうちアメリカのフォーク・ソングを日本語に訳した歌や日本で作られた歌など日本語の歌が登場してくると、それらがみんなで一緒に歌われるようになりました。やがて1960年代後半の「政治の季節」になって、メッセージ色の強いフォーク・ソングがよく歌われるようになると、それらの歌もさまざまな集会でみんなで声を合わせて歌われるようになったのです。そのピークとも言えるのが、新宿西口の地下広場をはじめとして、日本各地で起こったフォーク・ゲリラの集まりでした。

 

 ぼくはフォーク・ソングは大好きでしたが、このシング・アロングやシング・アウトという、みんなで一緒に歌うのが苦手でした。もともとぼくはみんなで声を合わせて歌うというのがだめで、小学校や中学校の音楽の授業でも合唱になると口だけ開けて歌っているふりをしたりしていました。音痴で合唱ができないというか、ハーモニーをつけられないということもありましたが、それだけでなくみんなで声を合わせ、歌詞の言葉もぴったり合わせ、息継ぎの場所もきちんと合わせて歌うという、そういう一糸乱れないやり方がいやだったのです。

 きっかけはキングストン・トリオのようなコーラスを聞かせるモダン・フォーク・コーラス・グループでしたが、すぐにもぼくは彼らが歌っている歌を作っているフォーク・シンガーたちに興味を抱くようになりました。ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ボブ・ディランといったフォーク・シンガーたちに辿り着いたのです。そこでフォーク・ソングとは、全体が一つに纏まる音楽ではなく、個を大事にする音楽、個に基づく音楽、個から出発する音楽、それぞれひとりひとりが好きにやればいい自由な音楽だということに気づいたのです。だからこそフォーク・ソングっていいな、素晴らしいな、魅力的だなと強く思うようになったのだと思います。まさに合唱の対極にあるのがぼくにとってのフォーク・ソングでした。

 ところがぼくが夢中になったこのフォーク・ソングでも、みんなで一緒に歌う、声を合わせて全体がひとつになって歌うというシング・アロングやシング・アウトが不可欠だったのです。個の音楽とみんなで声をぴったり合わせて歌う音楽、それは矛盾する存在のようですが、アメリカのモダン・フォーク・ソング・リバイバルではその二つの音楽が見事に共存しているところがあったように思いま

す。

 

 それが成立したのは、みんなが声を合わせて歌っても、そこには個というものがしっかり存在している、まずはそれぞれ集まったひとりひとりがいる、そのひとりひとりがみんなで一緒になって歌っているというところがあったからなのかもしれません。全体に個が埋没するのではなく、個の集積としての全体とでも言えばいいのでしょうか。ところが日本に伝わったフォーク・ソングの世界では、みんなで一緒に歌う時、個が集まって歌っているということが希薄になってしまい、一緒に歌うということ、心をひとつにして、声を合わせて全体で歌うということばかりが、すなわち個よりも全体の調和や統一の方が優先されるようなところがあったように思います。だからこそぼくはフォーク・ソングのシング・アロングにも、小学校や中学校での音楽の授業の合唱の時に感じた違和感や苦手意識を見つけ出してしまったように思います。まさに姜さんがお手紙で書かれているような、個を捨てた「ひとかたまり」になりがちだったのです。

 ぼくはみんなで一緒に歌う楽しさや面白さまで否定するつもりはまったくありません。みんなで一緒に歌うのはとても楽しいです。でもそれはあくまでも自分というものを持ち続けたままでのこと、一緒に歌うことを楽しむ個の自分がいた上のことで、ただ「ひとかたまり」になることが目的になれば、それはもう義務や仕事のようになってしまい、少しも楽しくなくなるように思います。ちょっとかっこつけた言い方になってしまいますが、それぞれがひとりでいてこそひとつになれるのであって、ひとりであることを捨ててしまってひとつになるというのは、ほんとうにひとつになることとはまるで違うことになってしまうのではないでしょうか。

 そんな強制的な「ひとかたまり」ではなく、みんながひとりひとりのままでのひとつになること。歌という場に関して言えば、そのひとつの答えがナミイおばあの歌にあるのではないかと、姜さんがナミイおばあについて書かれていることを読んだり、姜さんに教えられたナミイおばあのYouTubeでの音源を聞いたりして、ぼくは思いました。

 

 そしてもうひとつの答えが、ぼくにとってもっと身近なフォーク・ソングという歌の場の中に、ピート・シーガーというフォーク・シンガーにあるようです。

 ピート・シーガーはいろんなフォーク・シンガーの中でも、みんなと一緒に歌うことが、みんなに一緒に歌わせることが大好きな人です。まさにシング・アロングの名手、シング・アウトの第一人者と呼んでもいいでしょう。2014年1月27日に94歳でこの世を去ったピート・シーガーは、75年に及ぶ音楽活動の中で100枚近いアルバムを残していますが、その中にはライブ・アルバムが数多くあります。そして『With Voices Together We Sing』、『Hootenanny at Carnegie Hall』、『Sing Out with Pete』、『Sing Out! Hootenanny』、『Sing with Seeger!』、『Singalong Sanders Theatre 1980』といったアルバム・タイトルを見てもわかるように、ライブ録音されてアルバムになっているピートのコンサートは、シング・アロングやシング・アウトの嵐、ひたすら聴衆と一緒に歌い、とことん聴衆に歌わせているのです。

 中でも1980年に発表された『Singalong Sanders Theatre 1980』という二枚組、収録時間2枚組のCDは、シング・アロングの名手、ピート・シーガーを知るには最高のアルバムだとぼくは思います。1980年1月にケンブリッジのハーヴァード大学の中にある由緒あるサンダース・シアターで行われたピート・シーガーのコンサートが完全にライブ・レコーディングされているもので、彼はひとりひとりの聴衆とひとつになって、みんなで一緒に歌うことをとことん楽しんでいます。アルバムのブックレットに当時60歳だったピートは次のような文章を寄せています。

「わたしの声や記憶力、リズムのセンスやピッチがうんと衰えてしまう前にと、60歳にしてわたしは決断した。25年以上にわたって、たいていは大学で行ってきたわたしの2時間の“コンサート”をフォークウェイズ・レコードに頼んで記録に収めてもらおうと……1980年1月、わたしの妻のトシはマサチューセッツ州ケンブリッジまでわたしを車で送り届けるため、またしても自分の仕事を一時中断してくれた……ほとんどが若者で、それに混じって彼らの両親たちや祖父母たち、それに未就学児童たちもいた聴衆の誰もが、みんな天使のように歌ってくれた」

 

『Singalong Sanders Theatre 1980』を聞くと、みんながよく知っている歌が多いということもあるのですが、ピートが歌い始めれば、誰もが一緒に歌い始め、時には自然に、時にはピートのリードで自由にハーモニーをつけたりして、シング・アロングを心底楽しんでいるのです。命令されたり指揮されたりして歌うのではなく、どこまでも自由で、楽しくてたまらないみんなの歌声。「ひとかたまり」になるという目的のためではなく、一緒に歌わずにはいられなくなって自然と歌ってしまっているみんなの歌声が、ピートにはきっと天使の歌声のように聞こえたのでしょう。

 シング・アウトは苦手だとさんざん書きながら、歌というものは一方的に聞くだけ、受け止めるだけではなく、自然とそこに参加したくなるというか、声を出して一緒に歌いたくなるような魔力のようなものも確かに持っているとぼくは思います。そして石垣島出身の唄者にして三線弾き、沖縄最後のお座敷芸者のナミイおばあの歌とアメリカのフォーク・シンガーのピート・シーガーの歌とは、その世界が大きく異なっているように思えますが、ぼくはそのどちらにも「ひとかたまり」になることのない歌の秘密、一緒に歌ったり演奏に参加したりするシング・アウトの極意が隠されているような気がします。それは「みんなで一緒に」を個に押し付けるのではなく、個がそれぞれ楽しむうちに「みんなで一緒に」なっているということなのでしょうか。

 ぼくは自分のライブでは、「さあ、みんなで一緒に歌いましょう!!」というようなことはめったにしないのですが、願わくば曲によっては、ぼくが何も言わなくても、聞いてくれている人たちが自然と歌に参加してくれるような、歌ったり、掛け声をかけたり、踊ったり、とにかく何か一緒にやりたくてたまらなくなってしまうような、そんな歌い手に少しでも近づきたいものです。

 

 お返事がとんでもなく遅くなってしまってほんとうにごめんなさい。

 愛を込めて。

 

                     2017年12月17日 

                          中川五郎