中川五郎さま

 

 今度は私の方がすっかり返信が遅れてしまいました。

 年もあらたまってしまって、ごめんなさい。

 この間、 2月10日に、水俣病という「苦海」を描くことをとおして、そこに渦巻く忘れられた命の沈黙の声を聞き取って、人間が生きるべきもうひとつの世「浄土」を呼び出した作家石牟礼道子さんが亡くなりました。

 石牟礼道子さんという存在は、声や語りや言葉や歌に憑かれて追いつづける私のような物書きにとっては仰ぎ見る存在です。

 水俣病という近代の病を丸ごと引き受けた人生だった、という点において石牟礼さんはとてつもない存在でした。でも、それ以上に、引き受けたその場所で彼女が紡ぎ続けた言葉がこの世への辛辣な批評であったということ、その声が今はここにない「もうひとつの世」への道しるべであったということこそが、私にとっての石牟礼道子の凄みです。

 市民運動は、年月を経て当事者がいなくなってしまえば、次世代の人間がそれを引き継いでいくことがまことに難しくなります。だから、国家のような不老不死の組織は、当事者の命が尽きるまで時間稼ぎを重ねるというような悪事を普通に企むわけですが、その企みを粉砕する、千年先まで届くような声の力、言葉の力、歌の力を放ったのが石牟礼道子だと私は思っているのです。

 当事者が消えても、けっして忘れさせない言葉、語り継ぐ声、この世とは異なる「もうひとつの世」へ向かえと、すべての命に呼びかける力。そういうものこそが、私たちが分かち合うべき本当の物語であり、歌なのだとも私は思うのです。

 

 いま、こういう話をしながら、私はこの往復書簡の最初に書いた、五郎さんも歌っているあのピート・シーガーの「腰まで泥まみれ」を想い起こしています。

 同時に、日本の現代詩の世界で多くの詩人に影響を与えた小野十三郎という詩人の「詩論」も想起しています。

 

 小野十三郎は1903年生まれですから、ピート・シーガーより一回り上くらいの世代ですね。でも、歌と国家と戦争をめぐる経験ならば、おそらく同じくらい切実な経験をそれぞれにしているでしょう。アメリカでは朝鮮戦争、泥沼のベトナム戦争というぐあいに、青年たちが戦場に送られる時代が日本の戦後の時代にもつづいていたのですから。

 

 小野十三郎は、その「詩論」で「歌と逆に。歌に。」と言いました。これは、ものすごくざっくりと言うならば、日本の花鳥風月をうたう短歌的な抒情の否定です。

 春は桜、秋は月、のような千年以上にわたり日本人の情感に刷り込まれてきた条件反射の抒情、それを歌うときのおなじみのリズムの否定です。

 おれとおまえは同期の桜と、桜つながりで抗うことも許されずに見事に美しく散ってゆくような抒情の否定です。

 それは無自覚に故郷を讃え、風土の美しさを讃え、その感情がそのまま国家を讃えるような方向に流れるように(流されるように)つながっていくような、その意味での抒情の否定でもありました。

 自分が身も心もすっかり飲み込まれているその抒情に自覚的であれ、その抒情のリズムに批評的であれ、と小野十三郎はその「詩論」で語った。それが「歌と逆に」という言葉の意味です。条件反射の短歌的な抒情の流れとはことさらに逆にゆけ!と。そして、その逆への動きが極まったところに、本当の歌が、詩が、言葉が生まれいづるのだと。それは個の批判的精神から生まれいづる歌なのだと。これが、「歌と逆に。」のあとに「歌に。」が置かれている理由です。

 

「歌と逆に。歌」。

 たとえば、若き頃にある短歌誌の同人だった石牟礼道子さんは、情緒と風景が条件反射的にくっついている花鳥風月を歌う短歌に飽き足らず、風土に根ざし、生身の人間に根ざした新しい花鳥風月を想い、短歌から離れていきました。その後、水俣病という、人が病み、地が病み、水が病み、この世そのものが病むという苛烈な経験にさらされるなかで、非常に印象深い声で語り出される作品群を書かれたのですが、その世界をぎゅっと凝縮したような俳句がひとつ。

 

 祈るべき天とおもえど天の病む

 

 この俳句には季語がない。季節と抒情の条件反射を断ち切った、自身の命の中から湧きいずる、批評精神を芯に置いた厳しい抒情がひたひたと迫る歌がここにはあります。これも、とてもわかりやすい「歌と逆に。歌に」のひとつの形でしょう。ただ、石牟礼道子自身が小野十三郎の影響を語ったことは一度もありません。思うに、この世に絶望し、もう一つの世を眼差す者たちには、まつろわぬ心、反骨のリズムという点において相通ずるものがあるのかもしれません。

 

 それとは別に、明らかに小野十三郎の影響を受け、小野十三郎の歌と抒情をめぐる精神を見事に体現した二人の詩人がいます。しかも、面白いことに、この二人ともが見えない世界の住人なのです。

 見えない世界? と言われても、きっと不審に思いますよね。

 ひとりは、日本の中の見えない町、大阪・猪飼野朝鮮部落の詩人、金時鐘です。

 もうひとりは、日本の中の見えない孤島、ハンセン病療養所の詩人、谺雄二です。

 二人とも故郷から断ち切られて生きるほかなかった人です。

 二人とも若き日に小野十三郎の「リズムは批評である」という言葉に衝撃を受け、出口なしの集団性と相結ぶ日本的抒情を捨て、郷愁と深く結びついた日本的情緒を振り払い、ある意味日本語を破壊するような、そして新しい日本語を創りだすような、破格の歌を生み出した人です。

 

 たとえば、金時鐘の「うた またひとつ」。

 

 打ってやる。

 打ってやる。

 忙しいだけが

 おまんまの あてさ。

 

 かかあに ちびに

 母に 妹だ。

 口にたまる 釘の 汗を

 吐いて 打って

 打ちまくる。

 

 日当の五千円

 かせぐにゃ

 十足打って

 四十円。

 ひまな奴なら

 計算せい!

 

 打って 運んで

 積みあげて

 家じゅうかかって 生きていく。

 日本じゅうの ヒール底

 叩いて 打って

 めしにするのだ。

 

 これは、大阪・猪飼野の在日朝鮮人の家内工業、サンダル工場の打ちまくる暮らしの情景を歌ったもの。もちろん彼らが打っているのはサンダルの底ともかぎりますまい。打っている彼らの命が、いつもなにかにめった打ちにあっているのも言うまでもありますまい。

 

 あるいは、谺雄二の「死ぬふりだけでやめとけや」。

 

 ぢいさまが 死んだとォ

   カン カン カン カン 鉦たたけ

 きのうも きょうも 山ふぶき

  ひる だかよう よる だかよう

   この尾根の 哭(な)きあれる 日に

 喰わなく なって 唄わなく なって

   オレたちの ぢいさまが 死んだとォ

 

 〈ふゥるゥさァとォわァ いィずゥこォ〉

   オレたちの顔を 打ち 骨 凍らせて

 この尾根に もえたつ 白の 山ふぶき

  妙な唄 だったぜ 

   念仏みてェに くりかえしたぜ

 一ふしだけの ライの ブルース

   カン カン カン カン 鉦たたけ

 

 ここは にっぽん ライの尾根

   ぢいさまは クニを追われて 四十年

 どこの 生まれか 妻子は あってか

  だァれも 知るもの いやしねェ

   ライに かかって いちどは 死んで

 きょうまた 死んで どうなさる

   ぢいさま このつぎァ どこで死ぬ

 

 カン カン カン カン 鉦たたけ

   どうせ 行き場が ねェんなら

 ぢいさまよォ 死ぬふりだけで やめとけや

  オレたちが この世から 滅べば

   汚点(しみ)が消えたと 笑うやつらが いる

 笑わせて たまるか 生きてやれ

 

 国を売るのも そいつらだ

   この尾根に オレたちを 追い立て

 オレたちの 首を しめつけ

  ぢいさまの 眼と 手指を

   その唄と いのちを

    にぎり潰した チュクショウめらだ

 カン カン カン カン 鉦たたけ

   そいつらの 素ッ首 かならず 刈る

 

   ふぶき やまなきァ やむ日まで

  よるが 明けなきァ あけるまで

 ぢいさまよォ 死ぬふりだけで やめとけや

 

 鉦 うち鳴らし 奪われた いのち

  にっぽんの ライ オレたちの

 〈ふゥるゥさァとォ〉を とりもどせ

  カン カン カン カン 鉦たたけ 

 

 死ぬふりだけでやめとくどころか、死んでも死なないぜとうそぶく声がこだまする、おれらは死んでも歌いつづけるんだぜとにやりと笑う、見えない島の、ライのブルース、踏みにじられた命の底から放たれる鳥肌モノの谺雄二の歌。

 金時鐘も、谺雄二も、いわゆる日本の歌じゃない、日本の抒情じゃない、でも、彼らの歌は歌えるでしょう? 

 彼らの詩はただ黙々と読むのではなく、歌う詩。

 たったひとりで詩集を開いて、その言葉を目で追えば、声が思わずこぼれる、こぼれでた声が歌になる詩。

 

 こんな詩を詩人が口ずさみ始めたなら、その場に一緒にいるならば、「打ってやる、打ってやる」「吐いて打って打ちまくる」と、きっと思わず声を合わせてしまいそうです。「死ぬふりだけでやめとけや」「カンカンカンカン 鉦たたけ」と、明るく共に言い放ってしまいそうです。

 

 というわけで、五郎さんのシング・アウト、シング・アロングの滋味豊かな話を、私なりに咀嚼して、消化して、血肉にした結果が、今回のこの手紙になったのでありました。 うん、つながっている、われらの歌は、群れることなくつながっていると、なんだかうれしい心でありました。

 

 手紙を書きながら、ひそかに口ずさむはこの言葉。

 

 ぼくらは 腰まで 泥まみれ だがバカは叫ぶ 進め

 ぼくらは 腰まで 泥まみれ だがバカは叫ぶ 進め

 ぼくらは 腰まで 首まで やがてみんな泥まみれ

 だがバカは叫ぶ 進め!

 

 そうなんですよねぇ、バカはほんとにバカの一つ覚えでただ叫ぶばかりなんですよねぇ、条件反射の哀しいパブロフのイヌみたいにねぇ、日米の戦争屋の忠犬のあのポチみたいにねぇ ……。 

                                      2018年4月15日

 

                 きのう国会前に行けなかったのが少し悔しい

                                  姜信子