こんにちは。
みんなのteracoya主宰
kaoriと申します。
ご訪問ありがとうございます。
ご縁に心から感謝します。
子育て人育てのヒントを
毎日、朝、8:35に
優しい言葉にのせて
配信していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします🤲
私たちが育った昭和時代と今とでは、
ずいぶん時代がすすんだなぁという手応えがあります。
子ども時代にみたドラえもんの世界の中のものが
まあまあ実現してきていますね。
子どもの世界もずいぶん変わりました。
スマホ一台あれば、いくらでも時間が潰せるようになりましたね。
今の時代に生きる人は、
昔のどんな王朝の王様よりも豊かに暮らしているのです。
自動でやってくれる家事家電も増えました。
洗濯食器洗いも全自動
自動掃除機もあります。
車も自動運転。
昔、躍起になってやった録画も、
テレビが一週間丸ごとやってくれるのが今はあります。
子どもたちの学習はオンラインでタブレット学習、辞書も重たいのを持たなくても電子辞書に話しかければ答えを見つけてくれますし、
どこかへ行きたければナビが案内してくれて、今は、家にいながらバーチャル体験ができます。
もっと基本的なところでは、
四季の豊かな日本にいて、暑さ寒さを凌げる空調はほとんどの場所で整っています。
食べるものも豊かになり、
世界中の料理を家からスマホで注文すれば届けてくれます。
言い出したらキリがないほど、少なくとも
ここ、日本で暮らすなら、
相当、便利さは際立ちました。
あるものを数えれば、
ほとんど身の回りのことは多くの分野で、
有り余る便利を手にしているのですが、
その幸せはあまりにも足元すぎて
いちいち見る機会はほとんどありません。
そのくせ、この国の人はまだ、
もっと欲しいと
自己実現だなんだと、
もっと豊かにもっと幸せにと、高みを目指している人が何と多いことか
今日のブログは
圧倒的に自戒を込めてです。
もらうこと、手にすることを求めてばかりではありませんか?
という話です。
こないだ何気なく、
で歴史のことを話している動画を見ていました。
昔は、誰もが教育を受けられる権利を持っていたわけではない
というのを改めて聴きました。
今は、お金を出せばなんでも自分の意思で選んで勉強できますし、小中学校は義務教育で
ただで、試験もなく教わることができます。
私の父は中卒だったからか、とにかく、学べる場所でのスタンスには厳しかった人でした。
学べることは、当たり前にあることではないというのを、肌で分かった上で諭してくれていたのかもしれません。
中卒の父を恥ずかしいと思ったことがないくらい、父は大人になってから独学で勉強をした人でした。
家にはボロボロになって何度もセロテープで補強された辞書が何冊もありました。
新聞を読むときの隣にはそのボロボロの辞書があったのです。
そして、私が学校から習ってくることにちゃんと耳を傾けてくれて、
そんなこと習うんやなぁと感心してくれていました。
私がいろんなことを学んでくることを一緒に喜んでくれている感じがしていました。
そして父自身もいろんなことを学んでいたのだろうと思います。
私は何不自由なく育ちました。むしろ恵まれて育ちました。
その分、脆い自覚があります。
一つ一つの豊かさを数えれば、感謝しか起こらないはずなのに
ないものを数えたくなります。
でも、親のそのスタンスは、
子どもに伝わってしまいます。
今の子どもは、生まれた時から持ってるものが多すぎる、便利な世界を生き過ぎています。
だから、
不便なこと、嫌なこと、やりたくないこと
への免疫が少ない気がします。
その分、逞しさが足りないのです。
まずは、大人である私たちがあるものへの感謝を忘れないようにしたいものです。
私も反省しきりです。