おとならしのひび
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春休みにウィーンでガランチャに会った。
沢山のすばらしい音楽に励まされた。

帰ってから、歌ってみるがうまくいかず。
悔しい気持ちのまま、夏休み。
『あまんじゃく』稽古にはいるも、
声はでない。

もう嫌になって、通院も辞める。
『こんな感じだったら3ヶ月に1度くればいいよ』
と言われたけど、きっとお医者さんは
『やっと厄介な患者がおとなしくなった、良かった』
とでも思っていたのかな?とも思う。

とにかく、ちょっと無理をしながらも、
子ども企画と、オペラ終了!

そして、夏休み。
声を休めたからか、随分出るようになっていた。
ここで、1月のソロコンサートを企画。
さらに、3月のオペラも企画。
夏休みの動力は素晴らしい。

9月から。
仕事があまりにも忙しく、帰りが9時~10時。
今もそれが続いている。

そんな中で、どんどんコンサートが近づき、『まずい』と思う。
11月初旬。ひさしぶりに病院へ行く。
上咽頭の処置をしてもらう。声帯は、『使いすぎたら吸入』と、ステロイドの束を渡される。

あまりにも焦って、エスティルのレッスンに行く。
レッスンでは難しかったけれど、帰ってきて、その日のうちに、何故か声がぐんぐん出だす。
高音の、響きだけでピーンと鳴らす出し方。
驚くほど声が伸びて、それまでの『高いドとレあたりで、押さないとでない』状況を完全に抜け出せていた。
ただ、コンサートが近づくのが怖くて、すごく有名な声帯のお医者さんの予約を取った。

あまりにもびっくりして、それから2週間。
うまくそのポジションにはまる日も、はまらない日もあった。
何故だかは分からなくて、しかも、少し厚い声をだそうとすると、声が枯れる。

11月19日。自暴自棄になって、嫌になって、わざとガーガー歌って寝た。この日、11月21日に病院の予約を取っていることを思い出す。

疲れ果てて帰宅し、頑張って練習しようとしたのに、声がでなくて歌にならないときの苦しみといったらない。

ストレスと悲しさで、涙が出てくるんだから。

翌日、確かに声はガラガラ。早く病院に行きたい。
この日は練習せずに寝る。


そして11月21日。
権威ある先生に見ていただく。

自分の状況を説明するも、とっても丁寧に聴いてくださる。
そして内視鏡で声帯観察。

声帯は、手術後、もとに戻るためには時間が必要なこと。恐らく、傷痕がケロイドのようになってしまったのではないかということ。患者のアフターケアのための技師さん。うまく機能していないのかな?と、心配なさっていた。(私が手術した病院の立ち上げにいらっしゃった先生。)

(結局、この先生に何ヶ月か見てもらって、リザベンを飲み続けて、最後には『できものが消えた!』と思ったのだけど、実は撮影機器の関係で、腫瘍が見えなくなっていたみたい。)


つづく