おとならしのひび -2ページ目

【記述・2021年6月7日】


2019年2月。

生きる気力がない中で、ふと目にしたエリーナガランチャのウィーン公演。演目は『カヴァレリアルスティカーナ』。


しかも、なんと、仕事が休みの期間だ!!

これって、もしかして、神様の思し召しでは…?と、本気で思って、あらゆる手を尽くしてチケット(割高)をゲット。翌月の3月末に急遽ヨーロッパ旅行に行くことに。



素晴らしい旅行でした。

エリーナガランチャの素晴らしい舞台、そして思い切って話しかけて話ができたこと。そして前日にたまたまドミンゴの公演も見られた。さらに、薔薇の騎士の弦楽器と声の織りなす複雑な絡み合いに胸を打たれ、作品の『時が過ぎゆく切なさ』に、涙があふれた。

佐渡裕さん指揮のオーケストラでは、指揮者の大切な役割を身を持って感じた。


プラハにも行った。

変身に関係する場所や、ユダヤ人に関係する場所。シナゴーグでは、たくさんのことを考えた。


ストックホルムにも行った。

cちゃんに会った。北欧の『心地よい暮らし』を体験。



この旅で一番良かったのは、『歌をうたう私』と離れて、たくさんの音楽にふれることができたこと。

こんな開放的な気持ちはどれくらいぶりだったのだろう…。私は、自分の中の『私はこうあるべき』という謎の観念に縛られていたんだな…。


そして、すっごく久しぶりにワクワクした!!エリーナを待っている時。知らない守衛さんのおばちゃんから飴をもらったとき。エリーナの演技を見たとき。エリーナにしゃべりかけたとき。教会のコンサートで音が響いたとき。パイプオルガンの低音が、身体の全ての細胞を揺らした時。一人で知らない町を歩いたとき。一人で少しなれてきた町で、アイスクリームを食べているとき。全ての瞬間にワクワクした!!!




それからもう一つ。忘れられないことがある。

それは『祈り』。


ウィーンで見た『ペスト塔』。

ペスト終結を記念して造られたらしいんだが、、、その塔をみて、『病に対する祈りの気持ち』をヒシヒシと感じたのだ。今でも忘れない。グラーベン通り、これまでも(以前ウィーンに来たときにだって)何度も目にしているはずなのに、ふと、その日、目に留まったのだ。


そして。シュテファン寺院やペーター教会で、『祈りを捧げる人』を見たとき。


私は、声のために祈ることをしてきただろうか?

身体の治りたい気持ちを分かってあげていただろうか?

寄り添ってあげていただろうか?


今まで考えもしなかったことが、頭の中をグルグル周り始めた。


祈ること。


神様にお願いすること。

自分を信じること。

自分を大切にすること。


私に足りないのって、そういうことなんじゃないかと、思った。


すごく新しくて、すごく大切な気づきだった。




そしてもう一つ気づきが。

今まで辛くて避けていた音楽を沢山聞いて、『やっぱり私は音楽が好きだなぁ』と思った。




ヨーロッパ旅行で、こんなに大きな収穫があるなんて、思いもしなかった。


この旅行に、心から感謝。

旅から帰ってくると、『あ、また歌いたいな』って思えた。