小学生時代のことを書いていて思い出したことがある。
転校して、すぐのゴールデンウィークにわたしは大怪我をした。
夕飯時の調理中に鍋をひっくりかえして
左上半身に熱湯を浴びたのだ。
まだ、慣れていない台所だったせいか、台所で大きな動きをわたしがしてしまったか、その両方だったのだろう、やけどをした。
引っ越ししたてなのに母親はどこから情報を得たのか、市内にやけど専門の名医がいるからそこに行こうということになって、2週間近く通った。
行ってみると確かに患者さんでぎっしりだった。1日1回、秘伝(馬の脂に何かを調合したもの)の湿布を貼り替える。新しい皮膚が再生してきたら、上にあった古い皮膚を剥がして、あとは自然治癒という治療法。古い皮膚を剥く時は高熱が出た(でもほんとにきれいに治りました)。
学校は1か月近く休んだのだと思う。
担任の先生は軍隊経験者!の50代の怖い感じの男性だった。Uさんという同じクラスの女子が休み中のノートをみせにきてくれたりして、すごくありがたかった。その後も仲良くしてくれて友だちになった。
数ヶ月と書いたが、1学期でほぼ慣れたと思う。
もしかしたら、慣れなかったのはわたしより母だったのかもしれない。母は担任の先生と電話で話しても言葉がわからなかったし、かなり年上の男性という先生ということもあって萎縮してしまったんだろうか。課題の分離という言葉を思い出した。
確かに怖い先生であったが、そのおかげでイジメはまったくなかった。イジメっこがいたらその子こそ酷い目ににあう。当時は障害のある子と一緒に学んでいたが、その先生はその子に対しても普通の子と同じようにやさしく厳しかった。
人は自分の眼鏡をかけているという。
今思う。言葉がわからなかったから、その先生が軍隊あがりで怖かったから、慣れるのに大変だったのではなく、そう思いこんでいただけだったのではないか。
*それからしばらくして、わたしの鹿児島弁を聞いた母は、これが外国転勤だったらとほんとに思ったそうです。