パリオリンピックが始まった。日本選手が頑張っている姿は、私たちにエネルギーを与えてくれる。

そんな中で、兄妹二連覇を狙っていた柔道の阿部詩選手の敗戦とその後の号泣がニュースになっている。
大多数は、それまで彼女がどんなに人生をかけ努力してきたかを想像し、好意的に受け取っているが、中には、柔道家として感情をあらわにするのは良くないと否定的な意見をいう人もいる。

私たち日本は、自然な感情を表出しない傾向がある。外国人と付き合うと、よく笑い、嫌悪感も表情に出す。韓国には葬儀の時に、派手に泣く「泣き屋」という職業まであるそうだ。
それに比べてやはり、私達日本人は、感情を表出することが苦手なようだ。
苦手というより、若干の嫌悪感を覚えるのかもしれない。

他者から感情を表現されると、なぜ嫌な感じがするのだろうか?
まず、相手が今回のように辛いという感情を表現した場合は、その相手を助けなければならないというプレッシャー(エネルギー苦)が生じる。
また、他者が感情や感覚を素直に表現しそれが自分と感性が違う場合、「共同生活を進める上で意見の相違を埋めていかなければならない」というプレッシャー(エネルギー苦)もあるだろう。
あるいは、自分は必死で抑えているのに、それを表現されることに対する羨ましさに似た不公平感(不快感情の苦)を感じてしまう場合もあるかもしれない。

この「感情表現を控えるべき」という傾向は、男性、軍隊的な組織、スポーツ選手などに強く見られるように思う。
私は元自衛官だが、自衛隊では、帽子で目を隠すようにして、感情をできるだけ表出しないようにするのが普通だった。

当時誰もその理由は教えてくれなかったが、感情を専門とするカウンセラーとして考えてみると、軍人が戦いの中で弱い感情を見せると、相手を勇気付けてしまい、自分の命が危なくなるからだろう。
また感情は理性的な判断を弱めるので、戦いにおいては感情的になる人は判断ミスをしがちなのも、感情が嫌われるもうひとつの理由だ。

さてその視点から、阿部詩さんの号泣を見てみると、彼女はもうすでに戦い終わっている。軍人的な視点から見ても、感情を抑える必要はないのだ。

大人になったら泣かない、人に迷惑をかけない、助けを求めない、これは、私が言う「子供の心の強さ」。大人は、上手に感情を表現し、自分の弱さを認め、辛い時には上手に助けを求められる勇気を持つ心の強さを持ちたい。

阿部詩さんから私たちが学ぶものは、「大人だって辛かったら大声で泣いていい」ということではないか。泣くのは、敵に弱みは見せるが、他者(味方)の救援行動もを引き付ける。

 

人は一人で生きていくように設計されていない。ピンチの時は仲間の力を上手に借りられるのが大人。そのために、自分の感情をあまり抑えすぎないように練習したいものだ。

 

<お知らせ>

「不安がりやさんの頭のいいゆるみ方」が発売されました(2024年7月)

〇8月17日のステップアップ講座は、スキルアップ講座に変更になりました。

〇9月22日、感ケアの入門講座を開催します。