今日は、私がオトナコドモになった
きっかけを書きます。

父と母の所に、
私は第一子長女として誕生しました。
父は勤勉な人でしたが、
お酒・ギャンブル・女を
そこそこ嗜む人だったようです。
そんな状態でしたので、
お給料が入ってきても
父の嗜みへと流れてしまい、
母はいつも家計のやりくりに
頭を悩ませていました。
ぼんやりとですが、
私が母のお腹の中にいた頃、
母がスーパーで
この手持ちのお金の中で
何を買えばいいんだろう…と
不安な気持ちで買い物をしていた、
その感覚を覚えています。
お腹の中にいた私にも、
一心同体のその状況の中、
母の不安な気持ちは、
まるで私の不安であるかのように
伝わってきました。

私がこの世に誕生してからも、
母の不安は尽きませんでした。
お金の事…別の女性の影…
いつか自分は捨てられてしまうのでは…

私が生まれて、
念願の赤ちゃんを授かって、
嬉しかったはずの母ですが、
不安で毎日の生活が楽しめないようでした。

赤ちゃんの私は、恐らくですが、
そんな母を楽しませたかったに
違いありません。
母の笑顔が見たくて
足をバタつかせてみたり、
手をぶんぶん振ってみたりしました。
(ほら、お母さん見て!
私こんなに動けるよ!
スゴイでしょ!楽しいでしょ!)
それでも母の笑顔は
大きな不安に押し潰されていく一方で
少なくなっていきました。

朝から夜遅くまで父は仕事、
赤ちゃんの私は
そのほとんどの時間を
母と2人で過ごしました。

父が仕事へと出た後、
また母の不安は募ります、
ひょっとしたら母は、
創造力が豊かだったのかもしれない、
寂しさや不安を掻き立てる想像を
常にしているようでした。
その不安からか、
時々苛立ちを
抑えきれない日も増えました。
赤ちゃんの私は
なんとか必死に母を盛り上げようとします。
でも、赤ちゃんの私に
出来る事は限られています、
体を目一杯動かす事くらい。
いつしか私も、
母との2人の時間が、
喜びから
不安や恐怖へと変わっていきました。
正直言えば、
母と2人の空間は
辛いと感じる事が多かった。
何をしても笑ってもらえない、
母の不安をダイレクトに感じる日々。

その時間を
打ち破るきっかけが起こりました。
私に妹が出来ました。
母にとって待望の第二子。
そして私が2才の時、
妹が誕生しました。
まだ幼児の私は、
当時複雑な感情を感じていました。
妹が生まれる喜び、
母と2人きりではなくなる嬉しさ、
そんな気持ちと同時に、
母の少ない愛を
取られちゃうかもしれない
という不安や嫉妬や恐怖。

うちに赤ちゃんが来た日、
母は大事そうに妹を抱き抱えていました。
母は満面の笑顔を妹に向けていました、
(…寂しい…と、
ほんの一瞬、
私は感じたようでした)
その光景は、
母と妹の2人に、
後光がさしているような、
2人が光に包まれているような、
まるでマリア様の宗教画のような、
そんな風にキラキラして見えました。

今振り返ると、
私はこの時、
相当な寂しさを
本当は感じていたのだと思います。
でも当時の私には
この寂しさを受け止められなかった。
もういっぱいいっぱいでした。
だからあの時、
私は無意識に選択しました、
2才の私を、
寂しさいっぱいの私を、
寂しさで押し潰されそうな私を、
体の奥へと封印する事にしました。

多分ここからが
オトナコドモの入り口、
スタートだったのだと思います。

Ako_ya