5月の朝が好きだわ

4時過ぎからシャロンに起こされ

半分まだ寝ているような状態で外を眺める

 

 

見慣れた景色だけれど

「ここで生きてるんだな」って思う

何だか変だけどね

 

東京に戻ってきて6年になるのかな

今ではすっかりここが自分の場所だと思えるようになってる。

変化の多い人生だったけど

その時その時それなりに生きてこれたのも

家族や友達のおかげ、

それとシャロンも忘れてはならないね

 

最近、「生きている」ことの意味を考えることが多い

昨夜、中村雅俊が出ている「BAR昭和」というNHKBSの番組を見ていた。

しみじみといい時代を生きてきたのだなぁと。

 

(4) - 歌える!青春のベストヒット! 〜昭和が僕らの青春だった〜 - NHK

 

1曲1曲 思い出がよみがえるわよね

 

後、30年もすれば私の命も消えているだろうし・・

こうして地球で生きる人達が入れ替わり新たな時代が創られて、またさらに進化していくのだろう

 

日々進化は止まらない

何てたって

AIチャットが何でも教えてくれる

いや、教えてくれるだけじゃない

昨日なんか私の代わりにショートストーリーを書いてくれたもの

それがなかなか感心する内容なのよ

物語りを書いてくれるのよ

 

本当にすごい時代の中で生きてきたものだわ

白黒TVに驚いて

下宿先の黒電話が唯一繋がる手段で

携帯からスマホになって

この先どんな時代のいなるというのよっ

 

そんなことを思いながらも

ふと思う。

 

今この時代に生きてきた人達とは

何という奇跡で繋がったことか・・・

 

人生の大半の時間を共にしてくれた友人

一瞬だけれど愛し合う時間を共有した人

どれも奇跡的な出会いであり繋がりなのよね

 

週末

私の亡くなった元夫をよく知る友人と赤坂で飲んだ。

1年ぶりだったかな…

その時に言っていた

「彼がね、元気だったころに、あなたのこと言っていたことがあるの。

もう僕が好きだった頃のあいつじゃなくなったんだよ」って。

 

えッ

そうなの?

私からの言い分もあるけど、それは置いといて笑

人というのは、自分の気持ちを収めるために

都合の良い解釈をするものなのだなってね

 

私は思うの

彼女から元夫のことを聞いて思ったのだけれど

ま、とりあえずそのことは置いとくとして( ^ω^)・・・

 

例えば真剣に人を愛して

それが深いほど

その人とうまく続けれなくなった場合、

その恋人を忘れるために

自分の気持ちを整理するためにも

自分に都合よく考えるしかないものね

 

でも

最近、特に思うのは

人を許すとか

恨むとか

そんなに偉いものなの?

人間って

みんな違う感覚で、違う思いで生きているのだから

相容れない部分があるのは当たり前なのでは?

と、思うコトが多くなった。

※ま、例外も時としてあるが…そこまだ小ちゃい笑

 

それは、あと30年経てばみんないなくなっちゃうのだから

ふりかえった景色の中にいる人達は

凄い縁で出会った人達なのだと思うと、

それだけで大事にしなくっちゃってね

 

あと何年も同じ景色の中にいられないのだから

大事な思い出は大事にしたい

 

ウクライナからゼレンスキーさんがやってきた

何かが動き出すような気がする

平和な時代にしたい

願わずにはいられない

 

さて、今日はこれから三婆集合で川越で鰻を食べてきます。

Kちゃん手術前の作戦会議です!

 

ではよい休日を!