電車の痴漢は、数回捕まえたことあります。

社会風紀上は、合致した行動だからです。



でも本来、触りたくて触ったのなら仕方ない。

近くに女がいて触りたくないならインポです。

みな、捕まるという結果を恐れてしないだけ。



そもそも云えば、女は触っていいんです。

女は嫌なら、きっぱり拒絶すればよいだけ。

触れないと、男女とも “相性” を感じ取れません。



良さそうな異性がいた。

手間隙と時間をかけて、ホテルに行った。

いざ “ラッピング” を外したら、想定外。

それでも寂しさから、恋愛ごっこを始める。

たまたま孕んだら、結婚に至りもする。


そんな体で、セックスも恋愛もする。

よい顛末など待っている訳がありません。



人間関係の発展からなら、未来も見えます。

大抵は身近な発情を抑えて、鬱屈してるだけです。

結果、ガードの低さだけで欲情を暴発させる。

これだと、管理飼育されたサルと変わりません。



エロティシズムの醍醐味は、体感の精神昇華。

思考で体感をマヒさせた人間には無縁です。



触ると心地よさそうなものは捉えている。

ただ、それを妄想してズリネタになどしない。

味わえない口惜しさを、内面で自然昇華させる。

これが常態になれば、艶と色香が漂ってきます。



サルにはサル女。ブタにはメスブタ。

艶のある男には、艶のある女。


これが摂理であって、“例外” などありません。

結局、相手が酷いのなら、自分自身も酷いんです。



セックスの相性はいいが、気質が合わない。

気質が合わないから、疲れたら離れる。

逆も然り、これが大半のパターンでしょう。


発情の延長ではない純愛は、人を選ぶものです。

大半の人には、一生涯味わい得ません。


そうした二人は、他の異性への発情など一切しない。

思考を越えて捉えている視界が別次元になります。



男は触り、女は触られればいい。

欲情がたぎれば、自由に交わってもいい。


ただ、性癖の繰返しこそが人生になります。

それを頭で忌避しようと、サルはサルです。






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