【以下ニュースソース引用】

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき

FOOD

 

小林真樹

小林真樹

 インド食器輸入業

インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡 …

 

インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。

 

日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。

 

インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる異国食文化を紹介します。

 

今回は、イスラム教の「ラマダーン月」期間中、日中の厳格な断食を終えた後の食風景です。

静寂を破るアザーン、最初のひと口はデーツ

一面にブルーシートが敷かれた室内には、集まった大勢の男たちが横一列に並び、無言のまま時が告げられるのを待っていた。

 

彼らの前にはイフタールと呼ばれる、断食後に最初に食べるデーツ(ナツメヤシの果実)と数切れのフルーツ、簡単な揚げ物がのった紙皿と、水の入った紙コップが置かれている。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
イフタールを前に、人々は「その時」を待っている

 

やがて静寂を破るように、「その時」がやってきた。スマホに接続したスピーカーから日没を告げるアザーン(礼拝を告げる呼びかけ)が鳴り響くと、皆いっせいに、まずデーツを噛(か)み、次いでコップの水を飲み干した。

 

一心不乱に軽食を食べる男たちから聞こえてくるのは、かすかな咀嚼(そしゃく)音のみである。

 

2024年のラマダーン月のある夜(4月初旬)、私は友人のムスリム(イスラム教徒)の案内で、東京都江東区大島にある巨大団地群の1階にある集会所を訪ねる機会を得た。

 

インド系住民の多いここ大島団地では、ラマダーン月になると週末の日没前後、ムスリム住民たち有志が集会所を借りてムサッラーの場として使う。

 

ムサッラーとはモスク以外の礼拝する場所を指す。

 

例えば空港内に併設された、簡易的な礼拝室もムサッラーである。

 

日本国内にはこのムサッラーがたくさんあるが、多くの場合、その近くにモスクを建立予定で、完成までのあいだだけ使う仮の礼拝設備といった性格が強い。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
ムサッラーでの集団礼拝

 

イフタールとは前述のとおり、狭義には断食後に食べる最初の一皿を指すが、その後の集団礼拝や集団共食まで含めて用いられることも多い。

 

その最初の一皿で最も重要なのがデーツである。

 

古代エジプトの記録にも登場し、コーランだけでなく旧約聖書でも言及されているデーツはカロリーが高く、糖分だけでなく多量のビタミンや食物繊維を含み、一日の断食明けの最初のひと口目はデーツからと決められている。

 

ただそれ以外のイフタールの内容は、同じイスラム教徒でも出身地や民族によってまちまちらしい。

 

「僕のところではクグニ(豆の煮込み)を食べます」


「私のところではケバーブが欠かせないですね」

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
配られたイフタール

 

いずれにしても、このイフタールを腹に収めてようやく長い日中の断食から解放されるのだ。

 

食後、談笑する姿からは、目標を共に達成した人たちが持つ強い連帯感のようなものが感じられた。

急増する団地のインド系住民、今では80家族に

「2011年にここでラマダーン月の集団礼拝をはじめた時、集まったのは我々含めて3家族だけでした。それが今では約80家族に増えたんです」

 

南インド、タミル・ナードゥ州出身のハミードさんは感慨深そうにいう。

 

日本在住23年、IT技術者として都内の企業に勤めているハミードさんは当初、千葉県の市川市に住んでいたが、ほどなくして大島団地に移り住む。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
IT技術者として都内の企業に勤めるハミードさん(左)

 

「子供の学校があったからです。IISJという、インド人が経営する学校ですね。やはり子供の教育が一番大事ですから」

 

2004年、同区森下に設立された日本初のインド人学校、インディア・インターナショナル・スクール・イン・ジャパン(略称IISJ)は開校後すぐに手狭となり、2007年には大島の旧第三大島中学校跡地に移転。

 

子供を通わせるために都内各所からインド人家族が周辺に集まるようになった。

 

その多くを収容したのが大島6丁目と4丁目にある巨大団地群である。

 

新たに団地の住民となったインド人の中には、自治会の役員になったり、夏に開かれる納涼祭りでインドカレーのブースを出したりと、地元にとけ込もうとする人が少なくなかった。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
団地の集会所がムサッラーの場となる

 

その中にはムスリムもいた。

 

法務省の資料によると、インドのムスリム人口は14.2パーセント。

 

全体からするとマイノリティーのように感じるが、人口14億のインドだからおよそ1億9000万人。

 

日本の総人口をはるかに上回る数なのだ。

 

もちろん、来日するIT技術者の中にも、少なからぬインド人ムスリムがいる。

 

当初、めいめいの自宅で礼拝していた彼らは、やがて集まって礼拝をする場を求めるようになる。

 

集団礼拝はムスリムの男性にとって義務とされ、仕事や食事同様、生活に不可欠なものである。

 

と同時にその場は、子供の学校や仕事、病院といった異国で生活する上で必要な情報交換の場にもなる。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
集団礼拝を終えた人々は歓談や情報交換する

 

「長年、見知った人たちと一緒だと安心するんですよ。通うのは遠くなりましたけど、やっぱりここに来てしまいます」

 

流ちょうな日本語でそう語るのは、バングラデシュ出身のラナさんだ。

 

NHKのドラマ『おしん』を見て日本に興味を持ったというラナさんは、1990年代はじめに来日。

 

日本語だけでなく堪能な英語スキルも買われて某国大使館に勤務している。

 

そしてこのラナさん、もともと大島団地に住んでいたのだが、数年前に江戸川区篠崎町に引っ越した。

 

その新居近くにモスクがあるにもかかわらず、わざわざ大島まで通ってくる。

 

「昔は礼拝しに行こうにも、代々木上原の東京ジャーミイぐらいしかありませんでした。

 

今では仲間内でお金を出し合って、たくさんのモスクが出来ました」

 

ラナさんは翌日、埼玉県三郷市にあるモスクにムスリム同胞からの寄付金を募りに行くのだという。

 

こうして仲間内で集めた資金で中古の戸建て住宅や店舗、工場物件などを取得し、モスクにする流れが1990年代ごろからはじまり、2000年代以降加速している。

 

大島のモスクもほぼ目標金額に達し、建設予定地も決まっている。

 

どれくらいの募金が集まり、目標達成まであとどれぐらいか、といった詳細情報は逐一ホームページで確認できる。

 

見やすくスタイリッシュな作りは、さすがIT技術者の多いインドという感じである。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
同胞から新モスク建設の寄付を募る

ムスリムのこの時期の楽しみ「夜の食事」

そんな話を聞いているうちに、集会所の別室の方からいい香りが漂ってきた。

 

日没後のイフタールと礼拝を済ませたあと、ようやく本格的な「夜の食事」がはじまるのである。

 

この日準備されたのはマトンがゴロゴロ入った、味のよくしみ込んだビリヤニ。

 

ジャシャンという同じ江東区内にあるインド・レストランから大鍋に入れて運ばれたものだ。

 

それを有志らが一つ一つ皿に盛りつけ、バケツリレー式に配っていく。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
食事の準備をする人々

 

この「夜の食事」はムスリム同胞が経営するハラール料理店(ハラールとはイスラム教で「許された」という意味のアラビア語)にケータリングを発注するケースが多い。

 

一度に数十~数百人分となるので、店側の売り上げも小さくない。

 

それもあってか、注文は一つの店にかたよることなく、礼拝日ごとに違う業者に依頼しているという。

 

これも同胞の経営する店には機会を平等に与えたいとする、ムスリムならではの配慮によるものだろうか。

 

配られたビリヤニを皆、ワシワシとかき込むように食べすすめている。

 

顔には自然と笑みがこぼれる。

 

日中の厳格な断食から解放された安堵(あんど)感と、仲間たちと食を共にするという喜び。とくに断食をしたわけでもない私にもそれが伝わり、気がつくとなぜだか同じようにワシワシとビリヤニをかき込んでいた。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
マトンのたくさん入ったビリヤニはとても美味かった

 

日中の断食の反動からか、ラマダーン月の「夜の食事」は豪勢になりがちだ。

 

現地にいくと夜遅くまで飲食店はあいていて、この時期のみに食べられる名物料理に舌鼓を打つ。

 

だから中にはこの時期、逆に太ってしまうムスリムもいるほどだ。

 

「タミルでは今日みたいなビリヤニも食べられますが、カンジという粥(かゆ)が作られることが多いです。普段食べているシンプルなものではなく、豆や肉をふんだんに入れてリッチに作ります」

 

ハミードさんがラマダーン月の地元料理を教えてくれた。

 

粥のように、あまり咀嚼する必要のない、それでいて肉をメインにした栄養たっぷりのものが好まれるようで、南インドのハイデラバードではハリームという、マトン肉を豆と共にペースト状にした料理が名物だし、中央インドのボーパールには同様の料理をダリームと呼んでやはりこの時期のムスリムの楽しみとなっている。

 

そんなさまざまなムスリムたちの食の思い出話を聞きながら、東京のラマダーン月の夜はゆっくりと更けてゆく。

 

ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき
数日後、ラマダーン月が終わり、断食明け(イード)のお祝いに集まった皆さん
ラマダーン月、巨大団地の集会所で共にする日没後のひととき

食べ歩くインド 増補改訂版

2020年に刊行された小林さんの著作『食べ歩くインド』(旅行人)。2024年4月、『北・東編』と『西・南編』を合本し、新たな情報も加えた『食べ歩くインド 増補改訂版』(阿佐ヶ谷書院)が発売に。

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