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自由で平和で豊かになったはずの日本で「心を病む人」が増えている理由【現役医師が解説】

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自由で平和で豊かになったはずの日本で「心を病む人」が増えている理由【現役医師が解説】

 

戦後、日本人は自由・平和・豊かさを求めて努力を重ねてきました。ところが、それによって生じた弊害もあります。

 

それは昔はなかった、新たな「生きづらさ」です。

 

本記事では、『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』(KADOKAWA)の著者で医師・小説家の久坂部羊氏が、現代社会で精神の健康を保つ難しさについて解説します。

 

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精神の健康を保つのは至難の業

肉体的な健康はもちろん、精神面での健康も大事です。

 

いくら身体的に問題がなくても、心が病んでいれば幸せとはいえません。

 

逆に、身体の病気があっても、精神面で満たされていれば、心は穏やかで幸福を感じることができるかもしれません。

 

であれば、求めるべきは肉体の健康ではなく、精神の健康ではないでしょうか。

 

 ところが、現代はこの精神の健康を獲得することが至難の業になっています。

 

私はもともと精神科医ではありませんが、医学概論などの講義を受け持っていた福祉系の大学で、精神保健学の講義もしてほしいと頼まれ、一から勉強することになりました。

 

 精神保健学は精神病学とはちがいます。精神病学は精神の病気を扱いますが、精神保健学は精神の健康をテーマにしています。

 

 学んでみて驚いたのは、精神の健康を保つことが現代ではいかに困難かということでした。

 

理由はやはり今の日本がむかしに比べ、自由で平和で豊かだからでしょう。

 

そのせいで、国全体に過剰な優しさと思いやりが広がり、逆に精神的な満足が得にくくなって、心を病む人が増えているのです。

 

もちろん、優しさも思いやりも大事ですが、過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとしです。

 

 また、医学の進歩により、新しい概念が詳細かつ広範囲になり、かつては「ふつう」の辺縁に含まれていた人が、今は精神障害と判定されるようになりました。

 

「発達障害」「適応障害」「学習障害」「人格障害」「注意欠陥多動性障害」「自閉スペクトラム症」「アスペルガー症候群」などと診断されると、それはレッテル貼りとなり、当人も周囲もそういう「障害」だと思い込むようになります。

 

 私が医学生だった四十数年前は、精神科医が扱う病気は、「躁鬱病(現在の双極性障害)」「精神分裂病(現在の統合失調症)」、「てんかん」の三つが中心で、「神経症」はいわゆる「ノイローゼ」扱いで、さほど重視されていませんでした。

 

 それが今や、患者が急増したことに伴い、心療内科とかメンタルクリニックとかいうジャンルで、多くの医者が治療に当たっています。

 

対象となるのは、「パニック障害」「不安障害」「適応障害」「睡眠障害」「過食症」「拒食症」「アルコール依存症」「薬物依存症」「ギャンブル依存症」「新型うつ病」などです。

 

 さらには、いわゆるひきこもりやいじめ、不登校、学級崩壊、家庭内暴力、虐待、自傷行為、数多のハラスメント被害、SNSでの攻撃、誹謗中傷などは、精神の不健康に留まらず、場合によって自殺にまで人を追い詰めます。

 

 かつて、日本が非民主的で封建的だったころには、不自由で戦争もあり、貧しい人が多かった代わりに、ここまで挙げたような状況はさほど問題にはなっていませんでした。

 

社会の側に配慮する余裕がなかったこともあるでしょうが、多少の異常があっても、本人も周囲もそれはそんなもんだと思い、いたずらに状況を悪化させることが少なかったからだと思います。

 

 医学が進歩し、社会が苦しんでいる人により細やかに配慮するようになったのはよいことですが、そのことによって新たな問題も発生したのは、進歩が常に孕む〝業〞ともいうべきものでしょう。

 

精神の健康を害する社会構造の変化

太平洋戦争の敗北以後、昭和の日本人(私の親の世代)は、自由と平和と豊かさを求めて、懸命に働き、努力を重ねてきました。そこに幸福があると信じたからです。

 

たしかに生活は便利になり、娯楽も増え、楽しい毎日を送れるようになりました。

 

 その一方で、社会構造がさまざまに変化し、新たな「生きづらさ」が発生しています。

 

何事にもよい面と悪い面があるので、状況を改善しても、そのことによる不都合が生じることはなかなか避けられません。

 

 たとえば、封建社会では身分制度があり、人生に選択の自由がなかったので、自分の境遇を受け入れざるを得ませんでしたが、その分、あきらめによる精神の安定がありました。

 

民主的な世の中では、平等と自由が保障されていますから、生まれ持った境遇に甘んじる必要はないかわりに、自己実現の要求や、他人との比較によるプレッシャーなど、精神の不安定を引き起こす危機にさらされます。

 

 グローバル化により、日本特有の終身雇用と年功序列が廃れ、転職の自由と実力主義が優勢になっています。

 

前者は旧弊で不自由ですが、一定の安心感がありました。

 

後者は進歩的で自由ですが、競争原理が持ち込まれるため、能力次第という不安があります。

 

 また、かつては多産多死でしたが、今は少産少死ですから、少子高齢化が問題となり、死が非日常となって、生命の絶対尊重、死の全否定が蔓延したため、悲惨な延命治療などの弊害が生じています(今後は少産多死になるでしょうから、新たな死生観が広がるかもしれません。

 

長生きの負の側面が周知され、長寿礼賛が影をひそめ、私が常々信奉する〝ほどよい死に時〞が称揚される時代がくるかもしれません)。 

 

 

格差社会の問題もメディア等で採り上げられますが、戦前までの御殿のような豪邸に住み、何人もの使用人を抱え、いち早く自動車や電話を使っていた人と、電気も水道も使えない長屋暮らしの人がいた時代と比べると、現代の格差はかなり縮まっているといえます。

 

しかし、今はすべての人が平等であるという理想が掲げられているので、わずかな差も重大に感じられ、〝体感格差〞が増大しています。 いじめや不登校なども、私が子どものころには社会問題にまではなっていませんでした。

 

いじめっ子はいましたが、「いじめ」という概念が成立していなかったからです。

 

厳しい言い方かもしれませんが、悪口や嘲笑、仲間はずれや無視は、大人になって厳しい現実を生き抜くために役立つ強さや賢さを身につけるための〝試練〞という側面もあるのではないでしょうか。

 

 小学校教諭の知人によれば、これまで「いじめ」の認定には、一定の継続性が含まれていましたが、今は一度でも当人がいやな思いをしたら「いじめ」と認定されることがあるそうです。

 

現実にいじめに遭って苦しんでいる子どもを守ることは、もちろん最優先されるべきですが、将来のことを考えると、社会に出たときに困難に立ち向かったり、自分を立ち直らせたりするノウハウを身につけることができるのかと心配になります。

 

 不登校も私が子どものころにはあり得ない概念で、病気以外で学校を休むという発想そのものがなかったので、いやいやながらでも登校せざるを得ませんでした。

 

私の父は子どものころ、学校に行くのがいやで仕方なく、それでも無理やり行かされていたそうです。

 

それで「不登校が許されると知っていたら、自分もぜったい不登校児になっていた。

 

その意味で最初に不登校をしたやつはえらい」と感心していました。

 

 久坂部 羊 小説家・医師

 

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